G-5YSV44CS49 私の安全保障政策論(1/2)-当面はアメリカの動向を注視しつつ日米同盟を維持する-|歩く歴史家 BLOG

私の安全保障政策論(1/2)-当面はアメリカの動向を注視しつつ日米同盟を維持する-

歩く歴史家

国の平和と安全について一度は考えてみよう

私たち一般人は、国の平和と安全を基礎としつつ日々の社会的・経済的・個人的活動を行っている。だが、忙しい日常の中で日頃から安全保障について考える国民など(専門家を除いては)いないだろうし、そのような国があればそこは正常な国ではない。幸いなことに、日本人は日々安全について考えなくてもよい社会に生きているため、日本は平和でまっとうな国とみなすことができる。

一方、自分が暮らす社会の平和と安全について一度も考えたことがないというのも大いに問題だ。これはいわゆる「平和ボケ」と言われるもので、人類史上戦争は絶えず、そこで膨大な人間が命を落としてきたことに照らすと、このような時代は例外的な状態で、ある意味で幸せの極地ともいえる。

しかし、その幸せな状態はいつ何をきっかけに破られるかわからない。「安全は空気のようなもので、失って初めてそのありがたさに気づく」という説があるが、破られてからそのありがたみを認識しているようでは遅すぎる。平和と安全は私たちが生きていく基礎であり最重要の前提条件である。これがなければ物質的な豊かさも個人の自由も意味のないものになってしまうため、近代民主政国家・日本に生きる人間として少なくとも一度は自分が依って立つ平和と安全について深く考えてみる必要があるだろう。

このような認識から、本稿では日本の安全保障問題について考えていく。それにあたって時間軸を長短の2つに分けながら、現在の日本はどのような国際環境に置かれており、将来その環境はどのように変わりうるのか、そしてその中で日本が平和と安全を守るため、どのような選択肢をとりうるのかを検討していきたい。

まずは、短期的な考察から始める。現在の日本を取り巻く安全保障の状況を概観しながら、さしあたりどうすべきかを考えていく。

当面は日米関係を維持する

東アジアの国際情勢の変化

近年の東アジアの国際情勢の変化を一言で表現するなら、中国の台頭と軍事力の強大化だろう。1979年の改革開放以降、経済成長が軌道に乗ったのと歩調を合わせる形で、中国はここ20~30年間、国防費を右肩上がりに増加させてきた。現在では日本の防衛費の4倍を超えるほどの予算を計上している。

軍備の近代化とハイテク化も進めており、東アジアにおける中国の軍事能力はアメリカに肉薄しようとしている。フィリピンからの米軍が撤退した後、力の空白が発生した南シナ海においては、中国が岩礁を埋め立て人口島を建設し、同海域の管轄権を主張している。東シナ海でも尖閣諸島の領有権を主張し、太平洋へのアクセスを確保しようと躍起になっている。ミサイル開発、サイバー、宇宙分野も含めて、今後も中国の軍拡が収まることは予想しにくい。

さらに、東アジアは北朝鮮の核兵器開発の拡大という問題も抱えている。北朝鮮は2006年に地下核実験を行い核保有国となって以来、核開発を続けると同時に、その運搬手段であるミサイルの発射実験を実施していることは周知のとおりだ。

今後北朝鮮が核開発を止め、既存の核兵器を撤廃することはありえないだろう。経済力と通常戦力で圧倒的に劣る北朝鮮が現体制を維持するための大前提が核兵器であり、イラクやリビアの非核保有独裁体制が崩壊していった事実を見ると、現体制が存続する限り北朝鮮が核兵器を手放すことはないだろう。このようなわけで、日本にとって北朝鮮は脅威であり続けることとなる。

ロシア軍も存在感を示す。冷戦下において日本はソ連による北海道への上陸を警戒していたが、連崩壊後はロシアの極東軍は大幅に削減された。しかし、2000年代に入ってからの経済成長を背景にロシアは国防費を増加させ、装備の近代化を促進。北方領土を含むオホーツク海において軍備が強化されている。

このように日本を取り巻く安全保障環境は時間とともに厳しいものになっている。

アメリカの予見可能性の減退

戦後の冷戦体制下で日本は、自衛隊を保有しつつ、日米安全保障条約を基礎にアメリカに頼った形で安全を確保してきた。そうすることにより経済発展に専念でき、戦争で焼け野原になった状態から世界第2位の経済大国にまで上り詰めることができた。安全保障はアメリカに任せつつ、経済発展に専念するとう方針は吉田茂が描いた図式とされるが、そうすることで国民が国の安全という根本問題を真剣に考えることを意識的・無意識的に避けてきたのは事実だろう。

しかし、2016年のトランプ大統領の登場、今年の再選を見ている限り、ここ10年ほどのアメリカは政治的・社会的に激しい転換期にあり、だんだんと予見可能性が少なくなっている。第2期トランプ政権とその後の政権は、はたしてこれまでの世界戦略を継続するのか、その中で日米同盟をどうしようとするのかが不透明であり、アメリカが今後長期にわたって東アジア地域にコミットし続ける保証はない。

アメリカの動向を注視しつつ日米同盟の維持

そうした中、日本は国の独立と安全を守っていく必要があるのだが、安全保障体制をどうしていくのかという問題は一国内で収まる話ではなく、関係国を巻き込んだ議論となる。その体制は諸国家の力のバランスを基に構築されるため、日本が単独で一方的に変更することはできない。

したがって、当面は既存の日米同盟を維持しつつ、周辺国からの脅威に対処していかなければならない。それ以外の現実的な案は想定できない。

ただ、アメリカの予見可能性が少なくなっており、今後どのように戦略転換を行うか予想がつかないため、戦後の日本がそうしてきたように盲目的にアメリカに付いていくというのは好ましくないだろう。2000年代のイラク侵攻のようにアメリカも正統性のない独善的な戦争を始めることがあるし、パレスチナへの人道を無視した攻撃を続けるイスラエルを支持し続けるなど覇権国として欺瞞的な態度をとるため、どこまでもアメリカべったりというのは日本の国際的立場を危うくする。

こうしたわけで、現在の日米同盟を基軸にするが、アメリカの今後の動向を警戒心をもって注視しつつ主張すべきことは主張する、無体な要求は毅然として突き返すという態度が必要になる。

大国を周囲に抱える日本として現実的にとりうる手段としてはこれしかないのだが、かといってこれが最善であるわけでもなく、未来永劫この安全保障体制を続けていれば安泰というわけでも当然ない。外部の安全保障環境が変化した場合に備えて、現時点から頭の体操をしておく必要があるだろう。

プロフィール
歩く歴史家
歩く歴史家
1980年代生まれ。海外在住。読書家、旅行家。歴史家を自認。
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