トルコ・イスタンブール訪問(1/2)-滞在記-
今年の夏、トルコ共和国のイスタンブールを3泊4日で訪問した。これから2回にわたってイスタンブール滞在記と現地を見て考えるトルコの実情について書いていきたい(写真はすべて筆者撮影)。まずはイスタンブールの歴史とトルコの概要から。
イスタンブール略史、トルコの概要
イスタンブールは、中央ユーラシア世界の最西端かつヨーロッパ世界の東端に位置し、アジアとヨーロッパの結節点にあたる。古代ギリシャ時代にギリシャ人の入植都市ビザンティオンとして始まり、ローマ帝国時代の皇帝コンスタンティヌス1世により遷都する方針が示され、その名を冠してコンスタンティノポリスと呼ばれるようになる。4世紀末のテオドシウス帝治政下で正式に遷都される。
東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の首都として栄えたが、東に勃興したイスラム勢力からの侵攻を断続的に受け、1453年にオスマン帝国のメフメト2世によってコンスタンティノポリスは陥落する。以降はオスマン帝国の首都となり、1923年のトルコ共和国成立後には正式にイスタンブールの呼称が採用されることとなる。(同年にアンカラが共和国の首都に定められた。)
古代から現代に至るまで西のキリスト教世界・東のイスラム世界の首都として栄え、現在もトルコ最大の都市として存在し続けるイスタンブール。この都市を擁するトルコ共和国の主なマクロ情報をピックアップすると次のとおり。
- ・面積:780,576平方キロメートル(日本の約2倍)
- ・人口:約8,530万人(日本の約7割)
- ・名目GDP:9,055億ドル(日本の約2割強)
- ・1人あたりGDP:10,655ドル(日本の約3割)
- ・物価上昇率:57.7%
- (出典:外務省HP、トルコ共和国基礎データ)
人口動態はこちらのこのとおり。
出生率はちょうど次世代で同じ規模を維持できる水準(人口置き換え水準)の2台前半で、若年人口もピークを過ぎている。総人口は205-60年ごろを境に減少に転じていく。人口転換の点ではアラブ世界より進んでおり、東南アジアに近い国だ。
人の見た目
ウラル山脈以東の中央アジアの草原地帯が現住地とされるトルコ系民族だが、現在は西から、中国西部の新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)、中央アジアのオアシス都市(西トルキスタン、アラル海の南側)、そしてコーカサス地方を経てトルコ共和国にいたるまでユーラシア大陸の中央部に広く住んでいる。
トルコ人を観察していると顔の彫りが深く、男性はヒゲが濃い。素人がぱっと見た感じでは、アラブ人との区別はつかない。いわゆる「コーカソイド」に分類されるグループに属する顔立ちで、身長はそれほど大きくない。同じ草原民族である「モンゴロイド」系(日本人もそこに属する)の人々とは明らかに違う。
トルコはイスラム教徒(スンニ派)が人口の大多数を占めるが、それほど厳格な宗教実践を行っているようには見えなかった。イスタンブールを見る限り、女性もスカーフを巻いている人は少数派のように見受けられた。私は、アラブ世界はモロッコしか行ったことがないが、モロッコや西アフリカのイスラム国家と比べると、世俗化が進んでいる印象を受けた。
第1次世界大戦の敗北によってオスマン帝国が解体し、現在のトルコ共和国が成立して以後、アジアの国としては最も早い段階で世俗化を進めていった国であり、その歴史的影響もあるのだろう。
初日:入国
夕方、搭乗便がイスタンブール空港に到着したのだが、日本のパスポート保持者はビザが必要ないため、入国手続きは非常にスムーズでストレスがなかった。アフリカ内の便は平気で遅れる、(ときには、なんと出発時刻が半日ほど早まることもある!)、搭乗手続きで係員がもたもた/ヘラヘラしており30分も1時間も立たされたままになる、入国審査も1時間以上かかるなど相当ストレスフルなものだが、それに比べてイスタンブール空港はなんと心地よいことかと感じた。この時点でアフリカとは次元の異なる国なのだろうなという予想がついた。
空港でsimカードを購入したが、10GBで4千円弱もした。市内のホテルへの移動は、民間のシャトルバスと使ったが、チケットも迷うことなく購入でき、定時出発した。車体もきれいで、車内も日本のバスと特に変わらない清潔さだった。
ホテルは1泊1万円ほどのクラスのものを予約しておいた。値段以上の価値があればラッキーと多少期待値を上げていたが、実際にチェックインしてみると、「まあこんなものか」という程度だった。昭和の観光ホテルといって感じで、日本の1万円クラスのホテルと比較するとかなり見劣りする。アフリカで生活していてすら実感するが、ここでもまた「日本は安い国になってしまったのだな」とつくづく思い知らされた。
2日目:歴史地区の観光
2日目は快晴。気温は30℃台前半から半ばぐらいで非常に暑かったが、湿度は日本ほど高くなく、同じ時期の日本に比べ過ごしやすかった。この日は観光の中心地を巡った。アヤソフィア、ブルーモスクがあるイスタンブール観光の中心地を丸1日かけて歩き回った。
このエリアは観光客がごった返しており、午前中アヤソフィアのチケット販売所に行くと、1時間待ちだった。入場料を確認したら、アヤソフィア歴史ミュージアムとのペアチケットでなんと50ユーロ(1ユーロ=約160円換算で8,000円)。アヤソフィア単体の場合は25ユーロなので4,000円。オーバーツーリズム対策として値段を上げているのだろうが、それでも観光客は行列を作っていた。日本の観光施設もインバウンド客に気兼ねせず、入館者と収入の損益分岐ポイントを見定めながらどんどん値上げすればいいだろう。
アヤソフィアは、モスク(宗教施設)として利用しているものと思われるトルコ人の入口は別だった。日本でも観光施設が外国人観光客向けに別料金を設定することが話題になっているが、外国人と現地人の入場価格が違うというのは、途上国に行けば普通にあることだ。
公立の施設の場合、施設の維持管理費はその自治体の税収から、もしくは地方交付税を介して国税から充填されていることを考えると、納税者と外国人観光客に価格差をつけることは正当化できるだろう。 見せ方の問題だが、高い値段設定をデフォルト価格にしておき、国内に居住していることを示す証明書を提示すればいっきに値引きするという方法をとればいいのではないか。
アヤソフィアと呼ばれるこの宗教施設は、現在はモスクになっているが、世界史を学んだ人にとっては聖ソフィア聖堂と言ったほうがわかりやすいかもしれない。現在のアヤソフィアは、消失した旧聖堂を6世紀前半の東ローマ帝国のユスティニアヌス帝が再建したものだ。
外観は、ギリシャ正教の教会にイスラム教のミナレットが接ぎ木されたような形をしているが、内部を見学するとはっきりわかる。これは教会だ。内部はイスラム色で「お化粧」されているが骨格は教会だ。だが、同じ大聖堂でもローマカトリックの大聖堂とは違う。
アヤソフィア歴史ミュージアムはデジタル博物館で、約10名のグループを順路に沿って流していくスタイルだ。音声ガイド付きでイスタンブールの歴史が紹介されるのだが、各部屋ではデジタル立体映像が投影される。
その後、スルタンアフメト・モスク(通称ブルーモスク)を訪れた。アヤソフィアとは違いこちらは正真のモスクだ。内部は伽藍で、壁には青を基調とするステンドグラスがはめ込まれており、壁や柱には細かい装飾がされている。
このモスクはオスマン帝国の第14代スルタン・アフメ1世治世下の1616年完工とのことなので、日本の江戸時代開始の時期とほぼ同時代だ。この重厚な石像建築は4世紀後もの間きれいな状態で残り、現在でもこうしてモスクとして利用されている。日常での宗教実践に使われる歴史的な建造物という点で、日本に照らして考えれば、神社や寺に該当するものだ。
3日目:ボスフォラス海峡ツアー、グランドバザール
3日目も快晴で、気温も前日と同様とても暑かった。この日はクルーズ船に乗ってボスフォラス海峡を北上する半日ツアーに参加した。午前中にイスタンブール旧市街地のフェリーポートを出発して、黒海のすぐ入り口にあるアナドル・カバキョイという村を目的地として片道2時間ほどかけて北上した。
この海峡と少し西に位置するダーダネルス海峡は、地政学上のチョークポイントとして世界史上重要な要衝として存在し続けてきた。2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻開始以降、トルコ政府はこの海峡を艦艇が通過することを制限している。
海峡のすぐ北側にある黒海は現在もウクライナ戦争の戦地の一部だが、海峡は穏やかで平和そのものだった。軍事的に緊張しているのではないかと不安に思っていたが、実際は住民を運ぶ小型のフェリー、観光客を運ぶクルーズ船、コンテナ船などがたくさん往来しており、数百キロ北東で激戦が行われているとは思われないような日常ぶりを示していた。
アナドル・カバキョイは小さな漁村といった感じで、生活はゆっくりとしており、牧歌的な印象だった。船着き場の近くのレストランで昼食をとり、村を1時間ほど散歩してイスタンブールに帰る船に乗った。
夕方にイスタンブールに戻ってから夕食まで時間があったため、グランドバザールに立ち寄った。アーケード内では土産物、生活雑貨、貴金属などを販売するに個人店舗がひしめきあっており、販売品ごとに大まかにエリアが区分されている。
アーケード外にも個人店舗が並んでおり、衣服、靴、服飾小物が販売されている。その中にはGUCCI、BURBERRYなどの「ブランド品」が置かれている。いわゆる「パチモノ市」だ。BURBERRYのTシャツは、ベトナム製で600円ほどで販売されていた。
写真を見比べてもらえばはっきりわかるが、一人当たりGDPが1,000ドル台のアフリカ諸国では、掘っ建て小屋に古着やほこり・砂まみれの靴や鞄を販売する市が立っている(実質的には「青空がらくた市」)が、トルコのような1万ドル近くの国になるとかなり見栄えがよくなり、それなりの店構えをしたパチモノ市になる。東南アジアの市場でもよく見る光景だ。
先進国段階に達すると、この種の露骨なパチモノ市は見かけなくなるのだが、その水準はどのあたりになるのだろうか。国民の購買力が上がれば本物のブランド品が売れるようになりパチモノが駆逐される。消費者も露骨なパチモノを買い身につけることに恥じらいを感じるようになるということなのだろうが、トルコや東南アジアではまだその水準まで達していないようだ。
4日目:新市街地、出国
最終日は、出発便が夕方だったため、午前中に新市街地を2時間ほど散歩し、名物のサバサンドを食べた。焼き立てであつあつのサバが挟みこまれており、とてもおいしかったのだが、700円ほどだったので割安感のあるわけではなかった。日本でこれをもう少し安く提供できれば売れるかもしれない。どこかの漁村がご当地商品として売り出してはどうだろうか。
イスタンブール訪問の前編(滞在記)は以上で、続く後編ではもう少し話を抽象化しながらトルコという国について考えていきたい。