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資本主義社会でうまくやっていけるのは資本主義者 -凡人のための生存戦略-

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意外に多くない資本主義者

「資本主義社会でうまくやっていけるのは資本主義者」という一見トートロジー(同語反復)のようなタイトルを付けてみたのだが、これは当たり前のことである。だが、このあたり前のことを意識している人は意外に少ないようで、さらに我々が生きる資本主義社会の現実を見てみると、案外「資本主義者」の数は少ないのではないのかとの疑念が出てきたことから、このあたり前のことを立ち止まって考えてみる価値があるのではないかと思い至った。

ところで、「資本主義」とは何だろうか。資本主義を語る世の中のほぼすべての論者は資本主義を定義することはない。おそらくその人たちに「資本主義とはそもそも何ですか?」と問うとおそらく答えに窮するだろう。漠然としたイメージしかもっておらず、それを批判する側は無意味な「藁人形叩き」を行っている。

私自身はといえば、資本主義を「資本を無限に増殖させ、利潤の絶えざる獲得を追求するイデオロギー」と定義している(詳細はこちら)。手持ちの資本を無限拡大させることを善しとする思想と考えればいいだろう。

資本主義をこのように定義すれば、資本の無限拡大を目指す社会(資本主義社会)において、首尾よく立ち回っていけるのは「資本主義者」であるのは当然だが、実際の社会が資本主義的だからといって全員が資本主義者であるわけではない。それどころか、そうでない人が大半なようだ。では、資本主義者でない人とはどのような人だろうか。

資本主義者と資本主義者でない人の特徴

資本主義者

上述の定義より資本主義者とは、「資本を無限に増殖させ、利潤を絶えず獲得しようとする人」と定義できる。その特徴を列挙すれば、今よりも将来を重視する、リスクを厭わない(どころか好む傾向すらある)、損得計算に長けている、勤勉である(労働が好き)、時間を重視するなどだろう。

心理学に「マシュマロテスト」なるものがあるが(その実験の妥当性は疑問に付されているがここでは問わない)、資本主義者は子どものときマシュマロを食べることを我慢できた人だろう。

具体例では、経済誌フォーブズの世界長者番付(World’s Billionaires List)に載るような人たちを想像してもらえばいい。そのうちでも典型的な資本主義者は、投資家で唯一トップ10入りしているウォーレン・バフェットだ。

なお、マルクス主義の用語でいう「資本家」は、企業経営者や地主などを想起させるが、私の言う「資本主義者」はかならずしもそれらに限定されるわけではない。普通の会社員であっても資本主義者でありうるため、この類型はその人の性質と行為態度による分類であり、客観的条件(職業、社会的ステータス、資産の保有具合など)による分類ではない。では、以下では資本主義者でない人の類型と特徴を見ていこう。

貯蓄家

貯蓄家の特徴は、獲得したものを手放そうとしない(溜め込もうとする)、リスクや変化を恐れる、現状維持傾向が強いなどだろう。私の経験的に、この類型に属する人は現状に満足していたり、吝嗇家(ケチ)である傾向が強いように思う。(なお、マルクスの用語ではこの類型は「貨幣退蔵者」や「守銭奴」と言われるが、いまいちピンとこない上にネガティブなニュアンスを持つため私は「貯蓄家」と呼ぶ)。

資本主義者は一度獲得したものを再投資しそれを拡大させようとするため、溜め込むことはしない(溜め込んでいては拡大しない)が、貯蓄家はそうしないという点で資本主義者とは区別される。

社会的な観点から、貯蓄家の存在は資本主義社会の発展にとり都合が悪い。突飛な例で、また該当者本人らには大変失礼だが、徳島県上勝町で葉っぱビジネスを行っている高齢者は、かなりの利益を上げているにもかかわらず、それを溜め込み地元での消費や投資を行わないようだ。上勝町の人口推移を見てみると、出生数・転入者数・総人口のいずれも減少傾向に歯止めがかからず、消滅に向かっていることがわかる。貯蓄は資本主義社会を潤さないという一例だ。

浪費家

「浪費家」の特徴は、将来より今を重視することだ。マシュマロテストですぐにマシュマロにパクついて満足感を覚える子ども(と将来の大人)がこれに当てはまる。その帰結として、浪費や散財をするという傾向が見出される。

ギャンブラーは、基本的に割に合わないゼロサムゲームを戦っているという意味で投資家ではなく浪費家に分類される。

個人としてのあり方、社会面からの見方

個人の生き方から考えると、いずれのタイプも倫理的に良い悪いということはない。どう生きるかは個人の自由であり、他人の価値観に介入する権利は誰にもない。また、同じ人物でも社会経済的・身体的条件や年齢により別のタイプに移行することもあり得る(イーロン・マスクが80歳になっても新規企業を続けるとは考えにくい。どうなるのだろうか。)

他方で、社会経済面に目を当ててみると、過去20~30年の日本では、貯蓄家が多く存在し(それ以前の浪費家が貯蓄家に転身し)、日本経済の停滞の一因をなしてきたように思われる。その中で、少数の資本主義者が並行して存在し、現在まで続いてきたということなのだろう。

資本主義社会を肯定する、もしくはそれが終わることはないと考えるのであれば、個人として資本主義者として振る舞うのが有利なのは当然だ。他方で社会経済面からは、資本主義者や浪費家が増えれば、全体がうまく機能し始めるだろう。

資本主義者になれるかは遺伝的にかなり決まっているだろう。しかし…

ただし、上述のような類型を立てたとしても、自分が資本主義者になれるかなれないかは(身長、運動能力、知能といったあらゆる特性と同様)、遺伝的に半分かそれ以上決まっているだろう。例えば、真面目で規律正しい地方の公務員(小役人的な人)は、仮に若かったとしてもソフトバンクの孫正義会長のような富豪になることはありえない。

その逆もまた真だ。生来の資本主義者は、資本主義者たることをやめられない。イーロン・マスクが平日は9-17時の仕事、休日は家族サービスをするようなアメリカ人中産階級の「模範的なお父さん」になることはない。

ウォーレン・バフェットも、6~7億ドル(約100億円)ほどの金融資産を築いた時点で、「もう余生を過ごすのに十分蓄財した」として(現に彼の慎ましやかな生活水準だと、この額で十分すぎるほどだろう)貯蓄家や浪費家にもなりえたが、現にそうはなりきれず、資産は1,386億ドル(約20兆円)にまで達した。今なお90歳を超えても現役の資本主義者だ。(私の見立てでは、ビル・ゲイツはもうかなり前に資本主義者をやめている。珍しい例だ)。

生得的に普通の能力・資質しかない多くの人が資本主義社会の中でうまく立ち回っていきたいと考えるなら、後天的にそうなれるよう努力するしかない(それでもなれない人は一定割合で出てくるはずだ)。言い換えると、自分の中の「貯蓄家」や「浪費家」の部分の割合を減らし、「資本主義者」を増やすしかないだろう。(より具体的な方策はこちら)。

自分の幸福を定義し、自分の中の「資本主義者」の割合を調整する

タイトルに「うまくいく」と書いているが、「資本主義社会の中で経済的に(それなりに)うまくいく」という意味である。しかし、それが個人の幸福に直接的につながるとかというと、必ずしもそうとは言い切れない。

純粋な資本主義者で、大成功を収めた人が幸せかというとどうやらそうではないケースも多そうで、私を含む大半の普通の人は、イーロン・マスクのような人生を送ったとしても幸せとは感じないだろう。むしろストレスが多そうで、私なら一日イーロン・マスク体験をしただけで胃潰瘍になるだろう。私は首尾よく700万ドルぐらい稼けたらすぐに「貯蓄家」になるし、大半の人もこうしてどこかで資本主義者たることをやめるだろう。

現在のダウントレンドにある日本社会では忘れがちになるが、人間の活動は経済活動のみではない。資本の拡大に資することのない活動(例えば、家族・友人・恋人と過ごす、ボランティア活動に勤しむなど)も人生における極めて重要な部分である。 普通の人が考えるべき方向性は、①まず自分にとっての幸福は何かを(暫定的に)定義し、②そのうち経済・金銭的な成功が自分の幸福にどれほど寄与するのかを知り、③それに応じて自分の中の「資本主義者」、「貯蓄家」、「浪費家」の割合を調整していくことだろう(私の幸福論に関する考え方はこちら

プロフィール
歩く歴史家
歩く歴史家
1980年代生まれ。海外在住。読書家、旅行家。歴史家を自認。
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