30代での大学での学び直しはやめたほうがいい
吉見俊哉氏の大学3回入学論
東京大学名誉教授で現・國學院大学教授の吉見俊哉氏は、人生で3回大学に入り学ぶことを提唱している。関連著書:『大学とは何か』、『大学は何処へ』(岩波新書)
同氏は、これまでの日本では大学での学びと職業が対応していなかったことを振り返りつつ、現在日本人の平均寿命が男女ともに80歳を超える中、これまでの日本社会の学生時代→仕事→リタイア生活という単線的な年齢中心主義が時代に合わなくなったとする。そこで、今後は人生をマルチステージで考え、ステージの進展に合わせて大学で学び直しを行っていくことを提案している。
具体的には、第1回目の大学での学びは18~21歳で、これは従来どおりだ。続く第2回目は30~40歳代で、就職後現場経験を積んだところで、その後の人生を見据えて学び直す。そして第3回目は定年退職を控える60歳前後で、そこでは違う人生に挑戦すべく学び直す。
これが吉見氏の提案だが、少子化が進み2030年には18歳人口が100万人まで減少すると見込まれている中、この構想は大学のあり方を再考する中で生まれてきた発想だ。同氏は東京大学で副学長まで務められたということで、大学人としての、さらには大学経営者としての意見としては理にかなっているように思われる。
しかし、大学に入学する側の立場からすれば話はまったく異なる。将来にわたる大学のあり方という論点は、自分には直接関係がないのだ。入学希望者とりもっとも重要なことは、大学に入学することにどのようなメリットがあり、そこからどのような便益を受けられるのかという点だ。
アメリカのIT業界には、人間のもっとも創造的な時期は20代前半であり(ビル・ゲイツやマーク・ザッカーバーグが代表例)、その期間を大学に縛り付けておくことはその人にとっても社会にとっても利益の喪失だという理由で、優秀な学生を大学から中退させるための奨学金(給付金)を出す企業があると聞く。
18~20歳での大学入学について、このように否定的な見方もありうるが、現実に日本でもアメリカでもヨーロッパでも、大卒者のほうが高卒以下の人よりも生涯賃金が高いというデータがあるため、大学入学全般が不要だ、とまでは断言できないだろう。そう主張するには、大学入学がその他の選択肢に比べて損になるということを証明しなければならない。
しかし、吉見氏の提唱する30~40代での大学入学は、よくよく考えたほうがいい。60代での入学も30代ほどではないが、考えたほうがいい。早まって入学を選択してしまうと、金銭的に損するどころか、貴重な人生の時間を失いかねないし、進学しなければできただろう人生経験をできない危険性が出てくる。その理由を以下で見ていこう。
やめたほうがいい理由
1. 学費がかかる
いわずもがな、大学では高額の授業料がかかる。年間で100万円前後に加えて入学金もかかる。30~40代でも独身者であれば支払えるだけの経済的余裕があるかもしれないが、安い額ではないし、既婚で子どもがいるとなると、よほどの高所得者でなければか無理だろう。
2. 働いていればもらえた給料がもらえなくなる
仮に今の仕事を辞めて大学に行くとすれば、学費がかかる上に、働いていればもらえただろう給料を失うことになる。これを経済学の用語では、「機会費用」が大きい状態と表現するが、よりわかりやすいのは法学用語の「逸失利益」だろう。もらえたはずの給料という利益を逃してしまうのだ。
3. 可処分時間が奪われる
この年代は、会社勤務の人であれば第一線で働いている年代で、上の世代からの要求に応えつつ下の世代のケアもしなければならない時期で大変忙しく、仕事に集中しなければならない。家族を持っていることも多く、休日は家族に時間を割かなければならないだろう。その中で、貴重な時間を大学に費やすのはあまり現実的ではない。
4. 日本企業ではたいして評価されない
大学に入学して学位(おそらく修士号になるだろう)を取得したとしても、それを評価してくれる日本企業はほぼないだろう。仮に、修士号の保有を義務付けている会社があり、そこへの転職を考えているとすれば、すでに修士号を持つ10年戦士に伍していく覚悟が必要だ。それはそれで追加的な時間を割かなければならない。
修士号が必要な仕事に就きたいのであれば、20代前半で学士号を取得した直後に修士課程に進学するのが合理的だ。
以上の理由から、端的に表現すれば、30~40代で大学に入学するのは「コスパとタイパが悪すぎる」のだ。私が知人に相談されれば、やめたほうがいいと答えるだろう。
対応策
30~40代でどうしても学びたいことがあれば、まずは大学進学ではなく独学することを第一選択肢にするのが合理的だ。学習する意欲と姿勢は、人の人生を左右するほど重要なものであるため、年齢がいくつであろうとも学ぶべきだ。しかし、それは大学でか、というと別の話である。幸いにも、現在はインターネット上でも名門大学の無料講義が視聴できるし、本屋や図書館、Amazonでいくらでも書籍は手に入れられる。
これらのデメリットがあったとしても、なお大学に入学したいと考える30~40代がいるとすれば(現実にそう多くないだろうが)、オンラインで完結し時間の融通が効く大学(例えば放送大学など)を選び、現在の仕事をしながら学ぶのがいいだろう。
30~40代での入学候補者は誰か
吉見氏は30~40代を想定しているが、上記のデメリットを考慮し(メリットは私は思いつかない)、大学経営者の立場に立って誰が対象になりそうかを考えてみると、おおよそ次の人たちだろう。
・30代前半の独身者、もしくは既婚で子どもがいない人で、大学入学により何らかの見返りが期待できる人。
・30~40代の既婚かつ子持ちで、子育てが一段落し、共働きをする必要がない(=経済的余裕のある)専業主婦・主夫。
いずれにしても絶対数は多くないだろう。
60歳前後での入学は条件次第
30~40代での大学再入学のメリットは見当たらないが、60歳前後での再入学はどうだろうか。これに関しても、かなりの条件付きとなる。
10代後半から20代前半の学生にとって、30~40代、60歳前後の年長者と交流するのは大きな刺激になることは確かで、大学にとっても多様性の促進となる。しかし、その逆は成り立たないだろう。60歳代が20代から大学で学ぶことはほぼない(20代と交流することによる刺激は受けられるだろうが、大学である必要はない)。
60歳前後で入学する際の条件は、もう働かなくてもいいというだけの金融資産+老齢年金があることだろう。昨今、話題になっているFIRE(Financial Independent, Retire Early)を達成しているという状況だ。このような人たちが、過去のキャリアの総括と体系化を大学で行い、残りの労働人生に活かしたいという場合には、大学入学というのはこの上なくいい機会となるだろう。ただ、こうなるともはや趣味の領域だろう。
年金を受給しながらもさらに働くことを余儀なくされているという60代は、30代と同じ条件下にあり、大学入学は30~40代よりも投資回収期間が短くなるため、なおのことやめたほうがいいだろう。
将来60代で大学に入学しようと考えている若い人がもしいるとすれば、わざわざそうする必要がないと述べておく。60代以降は、それまでの職業人生で培ったノウハウや知識・技能をもって独立開業したり、会社組織に売り込みをかけたりすればよく、現在若い人はその準備をする時間的余裕がある。よって、大学入学は不要だ。裏を返せば、わざわざ60歳前後で大学に入らなくて済むよう若い頃から準備しておく必要があるだろう。(当然、趣味としての学びであればこの限りではない)。