高齢者を恐れる日本の政治家、若者を恐れるアフリカの政治家 -雇用利害の一致-
人口の塊に左右される政治
民主政であれ他の政治体制であれ、政治指導者の意思決定は人口構造に大きく左右される。民主政国家であれば政治家は有権者の顔色を伺い続けなければ「ただの失業者」になってしまう危険性を日々感じており、選挙のない専政国家であれば短期的には国民の意志を無視しえたとしてもいずれは暴力によって排除される。
こちらの日本の人口動態の推移を見ていただくとわかるが、日本の政治は、団塊の世代が壮年期に達した昭和末期から平成を経て、現在に至るまで団塊の世代をどう扱うかに左右されてきた。バブル崩壊後の平成は、彼らの雇用をいかに守るかが政策の中心課題になってき、現在は彼らの年金をいかに守るかが(暗黙のうちに)優先事項になっている。
彼らの年金と医療費を堅持するために現役世代の社会保険料が上がり続け、多大な負荷となっている。政治資源が高齢者に偏って分配され、政策が高齢者優先になる現象がいわゆる「シルバーデモクラシー」だが、民主政国家の政治家が高齢者の票を失うことを恐れることにより維持され続ける。
サブサハラ・アフリカの人口構造
その一方で、アフリカの人口構造を見てみると、若年層が多く高齢層は少数派になる「ピラミッド型」を形成している。アフリカのどの国でもいいが、街を15分も歩けば瞬時に体感できるが、やたらと赤ちゃんと子どもが多く、10代の思春期から20代前半の無業者(一日中ぼーっとしている若者)がそこかしこにいる。
アフリカは現在人口爆発中で、主要都市はどこも交通渋滞がすさまじい。赤ちゃんから20代前半の若者がひしめきあっており、街の熱気もものすごい。もはや日本では二度と経験できない若者の熱気だ。驚くのは、日本ではすでに高齢者しかいないような田舎の村(日本の過疎地)にも10代から20代の若者がいることだ。
その反面、70代の人は街であまり見かけないが、見かけたとしても非常に丁重に扱われている。これも日本とは逆で、希少な存在ほど大切にされるという事例だ。
総体として見ると若年人口の増加に雇用口の増加が追いついておらず、教育機会も乏しいためアフリカの若者の多くは低技能のままであり、構造的な失業状態に留め置かれている。彼らは、道を練り歩きながら食べ物や日用品(ティッシュペーパー)、自動車の部品、ヨーロッパから輸入されたものと思われる古着などを売っている(いずれもがらくたレベルの品質)。行商人とも言えるが、現膣には売れるあてのない在庫処分だ。
「無用者階級」ともいえる社会集団を成す彼らは、政治家の立場から見れば足元に存在する脅威であり、政治家は自国の若者集団を恐れている。どんな政体の為政者でも、政策の一丁目一番地に挙げるのは常に「若者の教育・職業訓練と雇用」だ。
こちらでも述べたとおり、人口爆発は、現在の先進国でも過去には社会騒擾を引き起こしてきた。高齢者と違い、若者は肉体的エネルギーにあふれており、彼らが虚無状態に置かれればそのエネルギーは「何か」に向けて暴発する。その「何か」は、直接行動(暴動)であったり、クーデタであったり、テロ行為であったりする(こちらを参照)。
これからコンビニで黒人店員が増えてくるだろう
何十年にもわたる少子化により子どもの数が減り続けた結果、若年労働者の不足がいよいよ抜き差しならないほど顕在化してきた日本。対して、人口爆発によって若者の雇用先の確保に四苦八苦するアフリカ諸国。両者の求める利害は見事に一致している。
こちらで述べたが、アジア諸国はすでに少子化が進んでおり、アジアの若者は経済プレゼンスが下がり続ける日本に魅力を感じていない。しかし、アフリカの若者は、たとえ日本の最低賃金でも母国でその日暮らし的な生活するよりも数十倍は賃金がもらえる。
これからの日本の中小企業経営者は、アフリカ人労働者の確保に動くだろう(動かざるを得ない)。私自身は、ヨーロッパのリベラルと評される国々でさえもそうなっているとおり、急激な移民労働者の受け入れは、文化的・社会的な衝突を引き起こすため賛成しない立場をとっている。それよりも先に、日本人労働者の賃金を引き上げることが先決で、移民労働書への依存は安易な対応策であると考えている。
その上で日本に魅力を感じる移民がいるとすれば、もはやアフリカ人しかいない。すでに都市部のコンビニでは東南アジアや南アジア出身者が主戦力になっているが、これから10~20年かけてアフリカ出身の黒人労働者を徐々に見かけるようになると予想しておく。