G-5YSV44CS49 民主政は「ガス抜き装置」として優秀 -2024年セネガル大統領選挙-|歩く歴史家 BLOG

民主政は「ガス抜き装置」として優秀 -2024年セネガル大統領選挙-

歩く歴史家

チャーチルの金言

イギリスの政治家で第二次世界大戦中にイギリスを率いた名首相として名高いウィンストン・チャーチルは「デモクラシーはあらゆる政治体制の中でもっともましな政治制度である」と述べたとされる。民主制を語る上で頻繁に引用される一節である。

正確には、1947年11月11日の下院演説にて、「多くの統治形態がこれまで試されてき、今後もこの罪と災いの多いこの世界で試されることになるだろう。デモクラシーが完璧であり、万能であるとは誰も思っていない。実際、デモクラシーは、折りに触れて試みられてきた他のすべての形態を除けば、最悪の統治形態であると言われてきた」と述べている。

今年の3月末、そのデモクラシーが機能した事例をアフリカで見た。セネガルの大統領選挙だ。

その事例を見ていくが、そも前に「デモクラシー」democracy,démocratieの訳語について。こちらで私は、デモクラシーを「民主主義」と訳すのは間違いであると指摘した。統治形態のある「べき」姿を語る「民主主義」democracismと、制度を含む政治の「あり方」を示す「民主政」democracyは截然と区別すべきだ、とうのが私の考えだ。最初に、この違いを踏まえておきたい。そして、今回語るのは「民主政」の方だ。

セネガルの大統領選挙

今年の3月24日に西アフリカのセネガル共和国で大統領選挙が行われた。現在のアフリカでは、東から西に向かってソマリア、エチオピア、スーダン、チャド、ニジェール、ブルキナファソ、マリ、ギニアと大陸を横断する形で「クーデタベルト」もしくは「破綻国家ベルト」とも呼べる政治的に不安定な地帯が広がっている。

このベルトの最西端に位置するセネガルにおいても、2021年頃から若者を中心とする暴動が散髪しており、地域の政情不安が飛び火する可能性に見舞われていた。しかし、結果的に大統領選挙は平和裏に実施され、クーデタベルトが東西を貫通する事態は避けられた。

選挙結果は、野党候補が圧勝した。その首領ソンコは、失業にあえぐ若年層の支持を背景に、これまで暴動を煽り立てることで政権転覆を図ろうとしてきた。いわゆる「ポピュリスト」と言われる人物だ。しかし、ソンコはそれゆえに逮捕され選挙資格を剥奪されたため、ナンバー2のファイ(同じく逮捕拘禁中)が代理で大統領候補になった。

(あらゆる言いがかりをつけられて)1年近く逮捕・拘禁され、選挙キャンペーン開始後5日目に恩赦によって釈放されたこのファイとソンコのコンビが、現政権の推薦する候補に大差をつけて第1回投票で勝利する結果となった。(セネガルの選挙はフランスと同様2回投票制のため、第1ラウンドでノックアウトの圧勝となったわけだ)。そしてファイ候補が大統領に選出され、平和裏に与野党の政権交代が実現した。

結局、民主政が生き残る

獄中選挙キャンペーンから始まった野党候補が圧勝するというのは、二重の意味で驚くべきことだ。まずは、選挙前の長い期間拘禁されて選挙準備ができなかったにもかかわらず勝利したという点だ。

だが、それ以上に驚くべきは、政権側が事前調査で負けるとわかっていたにもかかわらず、(内外からの圧力に耐えられず)政敵を釈放し、敗者となることを受け入れたことだ。

先進国の人々がステレオタイプを持ってイメージする「アフリカ」であれば、政権側は徹底的に野党を弾圧し、自分たち一族だけ国家の富を吸い続ける、というのがお決まりのパターンだろう。しかし、アフリカでもっとも政治的に安定した国といわれるセネガルでは、そうはならなかった。面目躍如といったところだ。

仮にセネガルで野党が徹底弾圧され選挙資格を剥奪されていれば、実際に大規模暴動となり、それに乗じた軍がクーデタを起こしていた可能性は大いにある。しかし、法の支配、三権分立、選挙が制度上存在し、それを遵守するという政権側の意思があったため、政権交代が平和裏に達成される結果となった。

チャーチルの言うとおり、民主政は万能ではない。民主政それ自体に、貧困、格差、失業等々の社会問題を解決する能力はない。経済発展を引き起こす力もない。しかし、人々の不満を政治的に表現する「ガス抜き装置」としては非常に優れている。標語的に表現すれば、「たかが民主政、されど民主政」となるだろう。たかが民主政といえども、暴動や政変により破綻国家に転落することを防ぐことができるという点で大いに意味がある。 民主政はガズ抜き装置としては優秀でも、ガスの発生自体を止めることはできない。ガスの発生要因は、民主政とは別の次元にあるのだ(詳しくはこちら「政治変動はなぜ起きる/起きないのか?」)。

セネガルを含むアフリカ諸国は(も)、今後立ち向かうべき課題が山のようにあるのだが、今回の選挙では「されど民主政」の効力、民主政の強靭さを実感した。現在の国際政治を見る上で「民主主義v.s.権威主義」という図式で語られることがあるが、この図式を前提とすれば、最終的に民主政が勝つことになるだろうと予想しておく。

日本も自己反省を迫られている

なお余談だが、このようなアフリカの小国でも与野党の政権交代は起きており、その度ごとに為政者の政治的振る舞いが成熟していく。大統領といえども自分が野党に転落する可能性を秘めているため、政権交代を繰り返しているうちに野党に対して横暴なことはしなくなる。為政者の権力行使の方法が徐々に「大人になる」のだ。

55年体制が確率してから選挙による政権交代が1度しか起きたことがなく、常に一党優位体制にある日本は、アフリカのことを嗤っている場合ではないだろう。

プロフィール
歩く歴史家
歩く歴史家
1980年代生まれ。海外在住。読書家、旅行家。歴史家を自認。
記事URLをコピーしました