会社の飲み会に残業代は出ますか? ―これからの経営者と労働者―
モデルケース「会社の飲み会に残業代は出ますか?」
先日、X(旧Twitter)上で、20代の若者会社員と思しき男性が、社長(の役をした)男性に「会社の飲み会に残業代出ますか?」と問うているショート動画を見た。今の日本社会の世代による考え方の違いを(やや極端に)象徴するやりとりで、モデルケースとしておもしろいため、ここで取り上げてみたい。
なお、やらせの可能性もあるが、架空の事例であったとしてもモデルケースとして役に立つため、その点は問わない。
若手社員の主張
まず若手社員(林田という名)の主張をまとめるとこのようなものだ。
・飲み会は時間外に行われるのだから残業代は出ると思った。
・飲み会に行かなかったことで自分の評価が下がるという事態は望まない。
・我々は仕事で出会っているので、お金が発生しない場所で会うのは違うと思う。 ・自分のように考えている同世代は多いと思う。
社長の主張
この主張に対する社長(らしき男性)の主張をまとめると、このようになる。
・結論、残業代は出ない。残業代を出してほしいなら来なくていい。会社の強制参加の行事ではないため、来ても来なくてもいい。
・そういうことをいう人とみんな仕事上のコミュニケーションをとりたいとは思わない。
・(林田の「仕事で出会っているので…」に対し)その発言は、仕事でないところでは話したくないと言っているのと同じだが、言われた方の気持ちは考えたことはあるか。(林田の回答:考えていない)。
・時間外にコミュニケーションをとることに意味がないと公の場で発言をすることは君にとって得にならない、いたずらに周囲を敵に回すだけ。
それに対する林田の反応はこうだ。なんか古い感じがする、もっと他に娯楽があるため(飲み会より)そっちのほうが楽しい、自分と同じ考えを持つ人たちから「よく言ってくれた」と思う人はいるはず。
それに対し社長は、そもそもそういうことを言う必要がない、自分が正しいと思うことを言えばいいというものではない、と反応して、林田は「もう帰ります」と半ば吐き捨てるように述べ、議論は平行線のまま終了する。
ジョブ型雇用に向けた価値観の変化
このやりとりに対して、現在の30代以上の人で違和感を覚える人は多いだろう。「企業戦士」として人生の多くの時間を会社に捧げてきた団塊の世代にとっては、林田は宇宙人に見えるはずだ。
私自身は、頻度によるが数か月に一度の飲み会であれば、嫌だったとしても参加してもいいじゃないか、と考えている。社長の言うとおり、たかが飲み会ぐらいで社長ともめるのは得策ではないと思う。
しかし、世の中のメガトレンドは林田の方に向かっている。日本の「昭和的な」体質の企業は、JTC(Japanese Traditional Company)と揶揄されることがあるが、林田の主張が現在それなりの多数派になっているとするならば、日本の会社がJTCの特徴であるメンバーシップ型の雇用形態から、ジョブ型の雇用形態に移行するための価値観上の転換が日本に起きていることになる。
ビジネスライクなアメリカ人からすれば、林田の主張は特異なものでなく、むしろ社長のほうが異常に見えるだろう。時間外に飲み会の場でコミュニケーション(飲みニケーション)をしなければ社員の円滑な人間関係を築けないのか、マネジメント能力のない経営者だな、余計な時間コストを社員に負担させていて経営者失格だな、と。日本社会の価値観が「普通」になっているとも解釈できるだろう。
社長が見逃しているのは、眼の前に存在する若手社員・林田は単に表面に現れた一事例でしかなく、社会のメガトレンドは林田の方向に向かっているという点だ。若手社員の価値観の変化を見逃しているということは、ビジネス上のトレンド変化に気づいていない可能性が高い。そうすれば、それこそ経営者失格で、早晩市場からの退出を迫られることになるだろう。
若者は限りなく希少、高齢者は過剰
こちらで現在の日本社会の人口構造を見ていただければわかるが、企業経営に限らずすべてのことを考える上での大前提は、「日本社会では若者は限りなく希少、高齢者は過剰」という事実だ。この傾向は予想しうる将来変わらない(どころか加速するだろう)。
仕事の時間、プライベートの時間を截然と分け、プライベートの時間を尊重するのが現在の若年世代の思考・行動様式であり、大きな潮流だ。彼らはコスパ、タイパ、リスパを重視する。経営者(とくに中小企業の経営者)はこれが好きか嫌いかを議論している場合ではない。それに対応するしかないのだ。
若者は希少ゆえに、発言力と交渉力がある。(特に中小企業や不人気業界の)経営者は自分の価値観を押し殺しつつ若年層の価値観を尊重する必要がある上に、賃金を上げなければならない、福利厚生を充実させなければならないなど、経営ハードルが上がっている。昭和時代のマインドセットでは、市場からの退出を余儀なくされるだろうし、すでにそうなっている。
現在、多くの中小企業が黒字にもかかわらず廃業を余儀なくされる事態に陥っているが、この現象の大きな原因は、人口動態の変化に経営者の昭和的価値観からの転換が追いついていないことがあるだろう。安くて大量に存在してきた若い労働力を酷使しながら黒字を出してきた企業に対し、今の若者は魅力を感じず寄り付かない(黒字か否かは関係ない)。結果、その企業は後継者不在のまま退場する。
「黒字廃業」と聞けばもったいないと感じる人もいるだろうが、実態は労働者にそっぽを向かれたゾンビ企業と捉えるのが正確だろう。それがたまたま黒字だっただけというだけだ。買い手なり後継者なりが見つからないということは、少なくとも価値のない企業とみなされているということだ。
低賃金の若年雇用の経営手法が行き詰まるのは若年世代にとりいいことだ。社会全体にとっても、少なくとも移行期には苦労するが、悪くないだろう。
すでに経営者が淘汰される時代に突入している事態の裏面には若者の「楽園」(といえば言い過ぎか)がある。若者の立場からすれば、税金や社会保障費は当面上がり続け、上の世代に比べて割りを食うことになるものの、雇用・労働環境面では悪くない。他人では容易に替えがきかないスキルを見につければ、自らの境遇を大幅に改善できるような環境になっている。その意味で、今から生まれてくる世代~今の20代はいい時代に生きていると言える。
自分が生まれ生きていく時代と場所は選択できない。現在から将来にわたる社会構造と人間の価値観の変化もコントロールできない。経営者にしろ労働者にしろ、所与の客観条件を捉え、受け入れた上で、その中で自分にとって最善の場所に位置取り、最適な行動をとらなければならない。