パーソナリティと人生設計①-橘玲の幸福論のカスタマイズ-
橘玲による幸福論
高度経済成長期に形成された、「いい大学を出ていい会社に入り、家庭と子どもを持ち、定年まで一社に勤め上げた後、年金生活に入る」という「昭和すごろく」ゲームが崩壊して以降、個人は自分の生き方を模索しなければならない時代となった。
そこで現在に至るまで隆盛を極めているのが、あらゆる種類のハウツー本であり、スキルアップコンテンツである。それは、きわめてミクロなノウハウでしかなかったり、ある人には効くが他の人にはまったく役に立たないものである場合がほとんどだ。
しかし、その中には(極めて少数だが)多くの人に受け入れ可能な考え方を含む、体系的な良書があることも確かだ。それが、作家・橘玲による『幸福の「資本」論』と『シンプルで合理的な人生設計』だ。
この両書では、進化論(進化心理学、進化人類学)、功利主義(合理的選択理論)、金融・ファイナンス論、行動経済学、動物行動学などの学問分野の知見が援用される。そこでは幸福の土台を形成する3つの条件として「金融資本」、「人的資本」、「社会資本」が設定され、この条件が(ある程度)揃った状態が「幸福」と定義される。それにより客観的な幸福の測定が可能になる、とされる。
そして、橘は幸福のための結論を次のように述べる。(『幸福の「資本」論』p.266』
金融資本:「経済的な独立」を実現すれば、金銭的な不安から解放され、自由な人生を手にできる。→金融資産は分散投資する。
人的資本:子どもの頃のキャラを天職とすることで、本当の自分として自己実現できる。→人的資本は好きなことに集中投資する。
社会資本:政治空間から貨幣空間に移ることで、人間関係を選択できるようになる。 →愛情空間を恋人や家族にミニマル化して、友情を含むそれ以外の関係はすべて貨幣空間に置き換える。小さな愛情空間と大きな貨幣空間に分散する。
橘玲的前提
この幸福論は、橘本人のパーソナリティや過去の実践と経験に基づくものだろう。私はこの結論に概ね賛成しているが、どこかドライな印象を受ける。とくに社会資本に関しては、リバタリアン的な冷酷さを感じる。
人によっては全く首肯できないという人もいるだろう。それは、この結論が橘玲のパーソナリティから導き出されているためであり、全然共有する部分がないからだろう。逆に橘とパーソナリティが似ている人には非常に有効な発想方法となるだろう。
では、いったい橘がどういうパーソナリティで、このような結論が導きだされたのだろうか。橘は著書『スピリチュアルズ』の「あとがき」において、パーソナリティ心理学で共通了解となりつつある「パーソナリティの5因子」(いわゆるビッグ・ファイブ)に基づいて自らのパーソナリティ分析を行っている。(5因子は、①外向的/内向的、②神経症傾向(楽観的/悲観的)、③協調性(同調性+共感力)、④堅実性(自制力)、⑤経験への開放性)
そこで橘は、①内向性が平均より高い、②神経症的傾向は高くないが楽観的というわけではない、③同調性は他人より低い、共感力は男性の平均程度、④堅実性は高い、⑤経験への開放性は平均より高いと自己分析している。
著作を読む範囲では、この分析は当たっているように思われる。上記の結論は、このような橘のパーソナリティを前提として出されたものだ。
カスタマイズする必要性
そうだとすれば、パーソナリティがまるで違う人が上記2書を読み、結論にまったく賛同できないと感じたとしても不思議ではない。世の中に存在する自己啓発書が自分にとって有用かは、読み手のパーソナリティにかかっているように、橘の人生設計がすべての人に役立つ汎用的なものであるわけではない。そのため、パーソナリティをパターン分けして、それぞれに応じた人生設計をしていく必要があるだろう。
なお、資本を「金融資本」「人的資本」「社会資本」の3つに分類し、そこに自分の資源を配分するという考え方自体には汎用性があるため、それに基づいて話を進めていく。ここでカスタマイズが必要だと言っているのは、その配分方法(どの資本にどれぐらいの資源を配分するか)についてである。
以下でそれを試みる。まずは、私のパーソナリティに合わせて橘の人生設計論を微修正する。その後、他のパーソナリティもいくつか取り上げ、それぞれにあった人生設計をざっくりと素描してみたい。
筆者のパーソナリティに合わせた修正
ここでは、パーソナリティの5因子に基づく私自身の分析を行い。橘の人生設計を私に合った形にカスタマイズしていく。
私のパーソナリティ
①基本的には内向的。人の多い場所は苦手である。自分のエネルギーは、他者や社会に向けて活用するのではなく、自分自身の知識や経験の向上に振り向ける性質がある。しかし、職場の気の合う同僚や面白い知識・経験を持った人(初対面の人でも)と話したり飲みに言ったりするのは楽しいため、内向的一辺倒というわけではなさそうだ。
②神経症的傾向は低い。抑うつ的になったことはない。自分の人生も日本社会も世界全体もこれまでいいものになってきたし、これからもそうなっていくだろうと思っている。
③協調性はそれなりに高い。同調性は相対的に高そうだ。職場の同僚とはうまくやっていけているし、人間関係のトラブルを抱えることもほぼないし、ストレスを感じることもない(と自覚している)。しかし、組織から自由になる選択肢を持つのが理想だとは思う。
共感力については、感情労働に従事できる能力はないため、決して高いとはいえない。しかし、恵まれない状況に置かれている人を放置し、自分だけがよくなればよいと割り切ることはできないし、その人たちの状況が好転するのであれば増税もよろこんで受け入れるという立場だ。おそらく男性の平均か、日本人では少し高いかといったところだろうか。
④堅実性はかなり高いほうだろう。学校や会社、人との待ち合わせ時間に遅刻したことはなく、仕事でもスケジュールを管理し、すべての締切は遵守している。好きなことに関しては地道な勉強も苦にならない。
⑤経験への開放性は高い方だろう。20代のころは知らない国を旅し、知らない人と話したり、現地の人たちの行動を一日中観察したりして、なんでこんなことをしたり、考えたりするのだろうと思っていた。現在でもアフリカ人の考え方を学んでいる。しかし、次々に現れては消え去っていくトレンドを追うことは時間の無駄だと考えているため、何にでも関心を示すということはない。
これが私の自己分析+近親者からの評価であるが、5因子の簡易検査と概ね一致する。こうして振り返ってみれば、大まかには橘に似ているのではないかと思う。それゆえにほぼすべての著作を読み、こうして記事を書いているのだろう。(まったく異なるパーソナリティの人物の著作をすべて読むというのは苦痛で、時間の無駄だと感じる。)
以下では、この私のパーソナリティをベースに橘の幸福論を自分流にカスタマイズしてみる。
自分流カスタマイズ
まず、私は橘の幸福論の結論で示された「金融資本」と「人的資本」の戦略には賛同する。しかし、社会資本の部分には多少の違和感を覚えたため、ここを微修正していく。
橘は進化生物学者ロビン・ダンバーに依拠しながら、家族や親友の5人ほどのグループ(愛情空間)を核にして、それを超える150人までの人間関係を「政治空間」(愛憎が蠢く空間)、それより外側をお金によってつながる「貨幣空間」と定める。そして、上で紹介したとおり、小さな愛情空間と貨幣空間への分散を説く。
しかし、橘の言及するマーク・グラノヴェッターの「弱いつながり(weak ties)」は、まさに愛情空間の外側かつ貨幣空間の内側の145名ほどで生まれるものだ。橘の評価では、ここが「政治空間」と定められ、ウェットで面倒くさいものと扱われているように感じられる。
この空間は、裏切り、憎しみ、嫉妬など負の現象が起きる場所でもあるが、グラノヴェッッターの指摘のとおり有用な情報が得られる空間でもある。ここには嫌なヤツもいればいいヤツもいるが、大半はいいヤツだと私は感じているので、この空間をもっと積極的に評価すべきだと思っている。このようなわけで、私はこの空間を肯定的な含意で「弱いつながり空間」名付けておく。(このような評価の差が出るのは、内向/外向性、楽観性の度合い、協調性が違うためだろうか)。
こうして私の社会資本に関する自説は次のようになる。
①5人の核となる空間=愛情空間
②その外の15人の空間(①+10人)=友情空間 (①+②=強いつながり)
③150~230人ほどの空間=弱いつながり空間
④それ以上=貨幣空間
①と②が個人にとって重要なのは当然だ。心理的安定性はここで確保される。それに加えて③にもできるかぎり資源を投入したほうがよいというのが私の結論だ。③でのつながりは、グラノヴェッターの研究のように、雇用保険や「ハローワーク」にもなりうるし、起業家にとっては事業を拡大していく積極的機会にもなる。③での人間関係は、他者に紹介する(ギバーになれる)ことが可能であり、それ自体が自分の人的資本の強化につながり、金融資本の増加への基盤となる。つまり、他の2資本との有機的な連関を生み出しやすいのが③なのだ。
これが私のパーソナリティに合わせたカスタマイズ方法である。本稿を読んでくださっている方もまずは自分のパーソナリティを5つの因子で分析し、資源の投資戦略を自分なりにカスタマイズしてみてはどうだろうか。
パーソナリティ別の資源投資戦略
以上は私なりのカスタマイズ方法であるが、世の中にはありとあらゆるパーソナリティの人がおり、このような「微修正」で満足できない人も大勢いるはずだ。そこで、次に5因子によるパーソナリティを3例措定して、どのような人生設計がありうるか簡単にスケッチしてみよう。
パターン1 外向的、楽観的、協調性低い、堅実性高い、経験への開放性が高い(かつ高知能)
これはかなりのハイスペックな人で社会的に目立ちやすい。例えば、イーロン・マスク、ホリエモンなどの起業家が思い当たる。 このようなパーソナリティの持ち主は、年率で「たったの」5~10%でしか増えていかない、かつ減るリスクのある株式インデックス連動型の投資信託やETFなどに資源投下(金融資本への資源投下)するのは機会費用が大きすぎて非合理的な選択となる。持てる資源を、そんな「ちまちました」ことに割くよりも、人的資本と社会資本の③に全力投入するのが合理的な選択だ。(現実には、共感性が低いため、社会資本①と②の形成には失敗しているように私には見える)。
パターン2 内向的、楽観的、協調性低い、堅実性高い、経験への開放性高い(かつ高知能)
上記とは外向性/内向性で異なっているが、内向的な人も社会的に大成功する例がたくさんある。私の解釈では、ここにはアップル社の創業者・スティーブ・ジョブズが入る。この人たちも、同じく人的資本と社会資本に資源を全力投入するのが合理的だろう。
パターン3 内向的、悲観的、協調性低い、堅実性低い、経験への開放性低い(かつ知能低い)
これほどまでに極端な人は少ないだろうが、論理的には存在しうるし実際にいるだろう。社会的に目立たない(目立てない)ため代表人物を挙げることはできないが、このようなパーソナリティだと現代の知識社会では行きづらいだろう。
社会で戦っていくための武器がないため、どのような人生設計をすればいいのか途方に暮れてしまうのだが、自分の親や兄弟、子どもにこのような人を持つ可能性は誰にでもある。近代の国民国家を基礎とする社会がこのような人をなんとか包摂し支えていく必要があるだろう。
今後の展開
以上、極端な例を定めて資源の投資戦略を考えてみたが、5因子それぞれの高低を想定するだけで32パターンのパーソナリティが得られる。橘が追加した2因子(知能と外見)を含めると合計128パターンとなる。しかし現実にはそれぞれの因子は0か1かではなく、その間に濃淡があるため、それを考慮するとかなり多くのパーソナリティ類型が得られる。
だが、あまり多く分類すると細かくなりすぎる上に差がなくなってしまうため、さしあたりは32パターンに絞った資源投資戦略と人生設計を考えるのが面白いだろう。引き続き、この問題に取り組んでいきたい。