政治変動はなぜ起きる/起きないのか?
1. 「なぜ」型の問い
2010年のチュニジアを皮切りに中東諸国で大規模な政治変動が起きたが、なぜ政治変動は中東では起きるのに日本では起きないのか。昨今のアフリカではクーデタが頻発するのに、なぜアメリカ合衆国やフランスではクーデタが起きないのか。
一般的に「なぜ」型の問いに答えるのはおそろしく難しい。政治変動に限っても、世界中の地域研究者が原因を探ろうとしており、上のような問いに答えるのは簡単ではない。しかし、「なぜ」を知りたいというのは人間の根源的欲求の一つだろう私は思う。
その背景には、「なぜ」を知ることそれ自体にとどまらず、それを理解した上で「どうすれば」事態がよりよくなるのかを模索し、現実をよいものにしたいという人間の欲求がある。経済界でも政界でもアカデミズム界でも、人は「なぜ」を問うことで現状を改善していこうと取り組んでいる。逆に考えると、どうすれば現状を改善できるかを考えるために「なぜ」そうなったのかを人は知ろうとする。
ここでは、政治変動がなぜ起きるのか/起きないのかについて私なりの考えを素描してみたい。以下2と3は話を厳密に進めるための準備作業なので、興味のない方は4に飛んでいただきたい。
2. 政治変動:革命とクーデタ
ここで政治変動と私が言うのは、革命とクーデタを指す。革命は政治的な意味での革命で、短期間のうちに一般民衆により現行の政治体制が法に則らない形で覆される事態を指す。近代社会で起きた革命は、私の知る限り、フランス革命、ロシア革命、キューバ革命、イラン革命、アラブの春である。(南米の事例については勉強不足のため判断できません)。
このように、巷でインフレを起こしている「革命」の概念を私はかなり狭く捉えている。例えば、産業革命、エネルギー革命、IT革命などは私の用語系では単に「大きな変化」であり、革命ではない。(「インフレ対策」の一環だ)。
クーデタcoup d’étatは、文字通りに解釈すれば「国家の打倒」であり、主体は必ずしも軍人でなくてもよい(仮に名も無い一般人が国家を打倒できたとすれば、個人によるクーデタである)。しかし、歴史上(ほぼ)すべてのクーデタは軍人によるものだ。武力を行使しなければ政権は打倒できないからだ。
クーデタにもいくつか種類がある。大まかに二分すれば、軍人が私欲を追及するために権力を求めるタイプが一つ。もう一つに、国家エリートを自認する軍人が、社会改革のために行う、いわゆる「世直し型クーデタ」。こちらは日本でも戦前に未遂事件が起きているため、現在これを経験している国をバカにすることはできない。前者は一般民衆の支持を調達できないが、後者は正統性を持ちうる。例えば、現在のガボン共和国。
以下でクーデタという場合は、世直し型のものを指すこととする。
3. 社会科学での因果推論
以上が準備作業としての概念規定だが、次に社会科学における因果推論について触れておきたい。
社会科学は人間そのものや人間が作り出した制度、人間の行為の結果たる現象を説明しようとする。自然科学の分野では、研究室で実験群と統制群を厳密にコントロールし因果関係を割り出そうとするのに対し、社会科学においては人間が分析対象になっている以上、厳密な実験はしようがない。(人間の遺伝子はマウスのようにコントロールできない。やってしまうと、倫理的に強い非難を浴び「ヤバい国」扱いされる)。
このようなわけで、社会科学はどこまで行っても厳密な意味で因果関係を特定することはできない。あくまでも推論するだけであり、一番「もっともらしい」推論を暫定的な因果関係としてとらえることで満足せざるをえない。
以上を前提に、以下ではある国で政治変動が起きる原因を見ていきたい。
4. 3層での原因推論
私は政治変動が起きる原因を三層で考えている。深層、中層、表層であり、より長期的な動きをし、人間の意志では変えにくいものから順に深層→中層→表層と移っていく。
深層
私は政治変動が起きる原因のもっとも深い部分に人口構造の変化と気候変動の二つを見ている。構造要因といってもよいだろう。これらは50~100年のスパンで動いていくという特徴があり、為政者の意志で「こうしよう」といったところで、5年や10年で結果が得られるものではない。逆にいうと選挙で選ばれる為政者は、数年後に来る選挙での票にならないためこれらの問題に対応しようとするインセンティブを持ちにくい。
人口構造が、若者が多く年齢が上がるにしたがって少なくなる、いわゆる「ピラミッド型」の社会で政治変動がこれまで起きてきた。というより、ほぼすべての国が最近までこの型だったので、それしか事例がない。フランス革命、ロシア革命、イラン革命、アラブの春などすべてこれに該当する。
理由は単純で、若者は肉体的エネルギーがある上、政治変動が起きた後の人生が長いためその誘引を持つ。他方で、現在の日本や旧ソ連・ユーゴスラビア圏、そして今後の中国・韓国・北朝鮮のように高齢者が多い国で政治変動が起きるかは社会科学的におもしろいテーマだ。
気候変動も政治変動につながる要因である。現在のサヘル地域(サハラ砂漠南縁)では、気候変動による干ばつがテロ・内戦の遠因を成している。
中層
私はその上の層に社会・経済的要因を見ている。具体的には、経済成長の停滞、若者の失業(雇用の受け皿の絶対的不足)、貧困、治安の不安定化などが挙げられる。
多数の若者が無職の状態で一日を無為に過ごし、エネルギーのやり場がないのが現在のアラブ世界やサハラ以南アフリカの特徴だ。経済が拡大していてもそれを上回る若年人口があぶれるため、常に先進国への移住圧力がかかっている。
教育については、人々の教育水準が上がるにしたがって政治変動のリスクは高くなると私は見ている。アフリカの現場を見れば直感的に理解できるが、文字がまったく読めない教育レベルの人々は完全に無力で政治変動を引き起こすだけの力を持たない。
他方で大卒・大学院卒だが、それに見合う仕事がないというのはありふれた光景である。先進国でもそうだがピラミッド型社会ではさらにそうで、彼らこそが政治変動の主体となる。
表層
一番上の層に政治が来る。一言で表せば「統治の正統性」ということになる。それを担保するものは、権力分立の原則、適正な政軍関係、政治家、軍人、警察、役人、裁判官といった国家権力の腐敗がなさ(少なさ)、国の資源の適正分配などといった国家の統治能力に関わるものである。
これらが揺らぐほど国民の政府に対する信頼性が低下し、統治の正統性が掘り崩されていく。実現の可能性はさておき、統治に関わる課題は深層の要因に比べて人間(為政者)の意志で対処しやすいという特徴がある。
なお、私は原因と「きっかけ」を区別している。例えば、第一次世界大戦を引き起こしたきっかけは、セルビア人青年ガブリロ・プリンツィプによるオーストリア皇太子の暗殺であり、アラブの春を引き起こしたきっかけはチュニジア人青年の焼身自殺である。しかし、これは単にきっかけであり、原因ではない。
5. 事例解説
以上の枠組みでいくつかの国を取り上げてみるとどうなるだろうか。
日本
日本は統治の正統性という点ではクリアしている。行政官の腐敗はほぼゼロとみなしてよく、特定の政党が嫌いだからといって憲法外的手段(例えば暴力)で政府を転覆する試みが成功するとは考えられない。
人口動態の要因でも、著しく若者が減っている状況では誰が政変を起こすのかという問題に突き当たる。体力的に劣る高齢者か、少ない若者か、両者の共闘か。どれも考えられないだろう。
中国
共産党体制の中国の表層の政治要因はかなり危うい。日本の報道を見ている限りでは、中国共産党の正統性かなり危ういものだが、これまでは経済成長の果実を国民が享受できていたため、政治変動には結びつかなかったと考えられる。
たとえ経済成長が終わり、横ばい局面か下降局面に入ったとしても、深層の人口要因が効いてくる。若年者の激減と高齢者の激増だ。人類は20-30年前までこのような人口構造を経験したことがなかったので、中国で政治変動が起きるかはわからない。私は起こらないだろうと予想している。
セネガル
なぜ急にセネガルを取り上げるのかといえば、サハラ以南のアフリカで独立以来クーデタや革命を経験したことのない国で、貴重な例だからだ。民主的で平和裏の政権交代も起きており、統治はアフリカの中では比較的安定していると考えられている。
しかし、人口構造は典型的なピラミッド型で、今後総人口は2100年に向けて年1.64%の割合で増加していくと国連により予想されている。経済状況はGDPこそ増えてはいるものの、若年失業者数が多く、大卒の就労先が極端に少なく、移住圧力が極端に高い。日本とは逆の意味で若者が暮らしにくく閉塞感を抱く社会だ。
今後の展開次第で増大する若年層が統治権力に能力がないとみなせば社会革命、もしくは世直し型のクーデタが起きる可能性は大いにあり得る。隣国のマリや北アフリカのチュニジア、エジプトのようになることは十分考えられる。それを避けるためには、社会・経済状況の改善が喫緊の課題となる。
以上が3層構造で見る政治変動の原因推論である。政変はある状況を満たせばどこでも起きうるし、原因はある程度絞り込める。しかし、政変が起きた後、どのような新しい政体が誕生するかは国の政治的・社会的・文化的・宗教・イデオロギー的背景により異なる。外国からの介入もこの過程で行われる。それらを勘案し、政変後の体制を予測することは、政変が起きるか否かを予想するよりはるかに難しい。