橘玲を読む―思想から作品まで―
橘玲は思想家である
橘玲は面白い! 7年ほど前、作家の橘玲の『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』』を読み、そういう着眼点があるのか、おもしろい視点から社会を眺める人がいるものだなと思った。その後忘れていたのだが、今年の5月、ひょんなことからこの本を読み返し、勢いで同氏の他の著作を30冊弱読んでみた。
専業作家である橘玲は、読書量がとてつもなく多いという印象を受ける。日々事務仕事や学生指導に追われる大学教員よりも読書量がはるかに多く、分野も特定のものに捕らわれず幅広い(アメリカの研究に偏りすぎているきらいはある)。
橘玲は、この膨大な読書量を基礎に諸要素を組み合わせながら独特の世界観を提示している。同氏が扱うテーマは以下で触れるが、橘玲を一言で表現すれば「思想家」である。作品目録を一瞥しただけだとテーマに統一性と一貫性が欠けているように見えるが、橘玲はリバタリアニズムの思想家で、それに基づいて諸テーマについて論じていると私は見ている。
なお、本記事はこれまでの橘玲の作品全体を評するものであり、特定の作品を書評するものではありません。
橘玲の基本思想
立場
橘玲は、アカデミズム界にも教育業界にもマスメディアにも政界にもどこにも属さない独立の作家である。そのためポジショントークをする必要がなく、特定のコミュニティのしがらみに囚われず自由に発想・発言している。ある界の同調圧力(=マジョリティ)から離れたところに位置しているため、その界が見えなくなっている問題を的確に示すことができる。独立した立場にいるという意味でその論に信頼がおける。
基本思想:リバタリアン
私は最初に『黄金の羽根の拾い方』を読み、次いで『言ってはいけない』を読んだ。このあたりでどうもリバタリアンっぽいぞという印象を持ち、本人の公式ブロクを見てみたところ確かにリバタリアンと自己定義されていた。
橘玲を読むにあたって、同氏がリバタリアンであるとの基本認識を持っておくとすべての作品が理解しやすくなる。蛇足ながらリバタリアニズムを大雑把に説明すると、個人の自由を最大限尊重し、国家が個人の思想や行動に介入することを嫌う思想だ。派生的に、行政権力が肥大化し官僚が物事を恣意的に決定することを嫌う。
しかし、国家の存在を否定するわけではない。国防や警察、最低限の公共サービスは認め、国家の権力行使がごく限られた範囲に留められることを是とする。いわゆる国家の最小化だ。そうして過度な平等を達成するための徴税と再分配が忌避される。
私は橘玲の著作を読み始めた当初、アナーキストの可能性も考えてみたが、数冊読む上で決して統治権力の存在そのものを否定しているわけではないことを読み取ったため、やはり橘玲はリバタリアンだ。
リバタリアンゆえに国家を必要悪と考える傾向がある。国家はでしゃばりすぎないほうがいいのだ。ジョン・ロールズや井上達夫などのリベラリズムがそうするように社会や国家がどうある「べき」かということについては(ほとんど)語らない。(間接的には正義論にコミットしていることが見え隠れするため、リベラリズムに近いのではないかとも思うことがある。リバタリアニズムとリベラリズムは「隣人同士」であるし、根本でも対立要素はない。)
その点でリベラリズムにコミットする私の立場とは異なるが、ロバート・ノージックを最初に読んだときと同じワクワク感を橘玲には感じる。ただし、リバタリアンゆえに橘玲はやや自閉的に見え、物足りなさを感じる。
なお、橘玲本人は学生時代にミシェル・フーコーの『監獄の誕生』を読んで衝撃を受けたと書いているが、あまりフランス現代思想・ポストモダンの香りはしない。
認識方法
橘玲はいっさいの感情を排した現実主義者である。いわゆる「リベラル」と言われるイデオロギー集団がそうしてしまうように、結論先取りでそれに合わせて現実を見ようとする認識論的な誤謬は決して犯さない。どんなに美しくない、かつ身も蓋もない現実であってもそれをそのまま見ようとする。
そして現実を見る場合には、対象(社会、事件、制度や仕組みなど)を傍から、裏から、下から、斜めから見ている。それゆえに普通の人が見えないものが見えている。マジョリティが表面のみを捉えて発言していることは繰り返さない。マスコミやネットで大量生産される言説群とは一線を画する主張を常に行っている。
このような認識法の帰結として制度(社会、法など)の歪みを発見することに成功している。その歪みを利用したりニッチなポイントを見つけそこで勝負することを推奨している。能力の高い人間がひしめく環境で彼らとがっぷり四つに組み勝負することは決して推奨しない。
また、これはリバタリアンの特徴であるが、橘玲は理想の社会像を描くことはない。価値を直接的に語ることがないという意味で没価値的である。リバタリアンは「個人の自由」が至上価値で、それを妨害する権力や制度を排除することに力点を置くため、橘玲はある集団(例えば国民、民族)で社会全体を良くしていこうという発想は薄い。国のあるべき姿を論じることもない。基本的には「~するなかれ」という排除の思考法である。
また、橘玲は徹底して論理的である。仮説の推論に筋が通っており、そういう解釈の仕方があったかと蒙きを啓かれることしばしばである。単に筋が通っているというだけでなく、読み物として面白いような論理が展開されている。
さらに、目的合理的である。金融資産を拡大する、幸福な人生を送るなどの目的に照らし、無駄なことを極限まで省き、最善の手段を提案する。コスパ、タイパ、さらにはリスパが重視される昨今の風潮に合致する思考方法だ。話が合目的的すぎて、見る人によっては「心情なき冷徹な合理主義者」に見えるだろう。
作品のテーマ
まずは橘玲の公式HPに掲載されている書籍目録を参考に、時系列に沿って私なりにジャンル分けを行い、代表作をピックアップしてみたい。というのは、リストを眺めているだけでは扱っているテーマがバラバラに見え、何について書いている人なのか捉えにくいためだ。
金融・ファイナンス論
橘玲の初期のテーマは金融・ファイナンス論であり、著作はリバタリアン的な思想に基づいている。後の人生論へと繋がっていく一つのピースでもある。読者にはこれによって資産を形成した人もいるだろうし、橘玲を「拝金主義者」として毛嫌いした人もいるだろう。
ここでは資産運用、節税などのファイナンス論が語られるが、その後ある程度答えが見えたためそれ以上展開されなくなり、橘玲は次のステップに進んでいく。
金融論に関する代表作品は『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』、『世界にひとつしかない「黄金の人生設計」』、『得する生活』、『「黄金の羽根」を手に入れる自由と奴隷の人生設計』、『臆病者のための株入門』、『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』、『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』など。
社会時評
橘玲は金融論から徐々に社会の方に目を向け始める。ただし、社会がどうあるべきかではなく、社会はどうなっているのかという観点で眺めている。リバタリアンたる橘玲が社会をどう見るかという点で大変興味深い。
関連作品に『(日本人)』、『「リベラル」がうさんくさいのには理由がある』、『専業主婦は2億円損をする』、『朝日ぎらい』、『上級国民/下級国民』、『無理ゲー社会』、『世界はなぜ地獄になるのか』など。
旅行記
2012年からの連載「橘玲の世界投資見聞録」が公式HPで読めていたが、現在では読めなくなっている。これも橘玲の面目躍如といったところで、大変面白かった。訪問した国を歴史的な観点を交えながら眺めるエッセーで、個人的には橘玲の文章の中で最も気に入っていた。
書籍として出版されているものでは『橘玲の中国私論』がある。
人生論・人生設計
2010年代後半頃から進化心理学、行動遺伝学、脳科学による知見が加わってくる。初期の金融論とその後の社会時評がここで接合されて橘玲の思想全体が体系的になってくる。
関連作に『幸福の「資本」論』、『人生は攻略できる』、『スピリチュアルズ「わたし」の謎』、『裏道を行け ディストピア世界をHACKする』、『シンプルで合理的な人生設計』など。
全体に通底する特徴
以上が私なりにまとめた橘玲が扱うテーマであるが、作品の全体像を俯瞰して私が感じる印象を述べてみたい。
まず、橘玲は1959年生まれでバブル世代に属するにもかかわらず、その世代特有の「イケイケ感」が微塵もない。この世代は20代後半にバブルを経験し、30代はその余韻に浸りつつ、壮年期には日本の衰退を経験している。若くエネルギッシュな時期にバブルの高揚感・多幸感を体験しているはずだが、橘玲は最初からトーンが暗めだ。80年代の回想録『80’s』を読んでもどこかどんよりしている。
また、マジョリティが気づかない事実を静かに指摘するのも特徴だ。みんなが「太陽は東から昇って、西に沈む」と言っている中で「本当にそうか。太陽は西から昇って東に沈んでいるのではないか」と説得的に指摘する。もしくは誰もが心のなかで薄々気づいているあられもない事実を指摘する。要は裸の王様が裸であることを指摘するのだが、声高らかには言わない。
また独立した作家であるため、ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)に配慮する必要も特にない。「これを言うと同僚から嫌われるな、業界的にまずいな」「アカデミズムの中で浮くだろうな」などと気にかけなくていいのだ。その立場を最大限活かして多くの人が内心気づいているが口には出せないとこを特に気にせず言える。それゆえに肌に合わない人もいるだろうが、逆に「よくぞ言ってくれた」と溜飲を下げる人もいるだろう。独立独歩を続けられるのは、さすがリバタリアンといったところだ。リバタリアンらしく、既得権も嫌いだ。
しかし、論争的でも攻撃的でもない。個人批判は謹んでいる印象を受ける。リバタリアンには「他者危害の原則」(自由が保障されるのは他者に危害を加えない限りにおいて)という決まりがあり、制度は批判すれども個人の人格は批判しないというフェアな立場を貫いている。
橘玲がこれまでやろうとしてきたこと
以上が作品に関することであるが、ここからは橘玲が何を問うてきたのか、つまり全体として何をしようとしてきたのかを考えてみたい。
2002年の小説『マネーロンダリング』がデビュー作とうことなので、2023年現在で約20年経過していることとなる。明示的に語ってはいないようだが、出版された作品群を現在から遡って見てみると、橘玲はつまるところ「個人はいかにして幸福になるか」という問いに答えようとしているように見える。リバタリアンらしい問いだ。
初期作品からこの問いは前景に現れていたわけではないが、2010年代後半ごろまでの作品を読んでみると、「結局そういうことだったのか」と徐々に理解できるようになってくる。 橘玲の作家人生20年を前期・後期で区切り、特徴を私なりに整理してみると次のようになる。上述の「作品のテーマ」と照らし合わせながら読んでいただきたい。
初期:2000年代
2000年代は、おおよそ橘玲の40代(壮年期)に該当する時期であり、デビュー以来の投資・金融関係の本を出版していた時期にあたる。私自身は『黄金の羽根の拾い方』を2016年ごろに最初に読み、数多あるキワモノ投資本の一つかと思いきや、全然そうではなかった。
金融(端的に言えば、金)を中心テーマとしながら、制度の歪みを利用しつつ個人はどう立ち振る舞えばよいのかというのが問いになっている。
後期:2010年~現在
橘玲の50代に当たり、現在の64歳まで続く期間である。この年になれば酸いも甘いも経験し、人間という存在を俯瞰できるようになる(のだろう)。作品は金融という狭い対象を脱却し、人間という存在に焦点が当たるようになってくる。
そこで問われているのは、人間とはどういう存在か、個人はいかにしてよりよく生きるか、というものだ。そのための具体的な人生戦略が語られる。方法論は進化心理学、行動遺伝学、脳科学などの知見が動員される。
橘玲がやり残していること
まず金融関係は、全世界に分散投資をするのが最適解という答えが出ているため、これ以上展開の余地はなさそうだ。人が幸福を追及する際の土台となる資本の考え方もこれを基礎に考えを進めていけそうだ。
大きな発展・展開の可能性があるのは、遺伝に関する分野である。橘玲は研究者ではないため、今後の行動遺伝学の研究の進み具合に依る部分が大きいが、個人の遺伝情報と職業(ディーセント・ワーク)との連関が次の課題となるだろう。現状では、人間の行動に遺伝の影響がかなりの程度寄与していることが明らかになっている。次はどのような遺伝的特徴を持った人がどのような職業に就けばその人らしく生きていけるかについて考えていく必要があるだろう。
また、リバタリアンであるがゆえの限界でもあるが、おそらく多くの人は自分だけが自由に幸福に生きていければそれでいいというわけにはいかないだろう。やはり、自分の属する社会や国家がよりよい方向に進んでいくことを人は望んでいるはずだ。
橘玲は国家や社会を所与のものと前提し、その中で個人は自分の能力に適した(ニッチな)分野で活動していくほかないという発想方法を採る。(それが残酷な社会を生きる方法)。リバタリアンなのでそれは当然なのだが、それはあくまでも「たくましい個人」を前提にした発想であり、確かに「べき論」としてはそれを目指すのがよい。それができる個人はその道を追及すべきという点は賛成する。
しかし、遺伝やその他の事情によって他者の支えに依存してしか生きられない人や、ディーセント・ワークに就くだけの(遺伝的)特性を持たず貧困から脱却できない人は一定数いる。そのような人を(遺伝的・経済的に)恵まれた人が支える国家の制度や社会の仕組みを積極的に追及すべきだろう。想像でも虚構でもある集団を基礎としたあるべき国家や社会の姿を提示する必要がある。
【読書案内】橘玲の読み方
最後に、まだ橘玲を読んだことがない、または断片的にしか読んだことがないという方に私なりの読み方を示したい。あくまでも一例として捉えていただきたい。
といってなんだが、まず断っておきたい。本を読んで元気づけられたいという人には橘玲は向かない。また、我々が生きる社会をどのようにすればよりよくできるかということに関心がある人も向かない。
橘玲の文章の特徴として、平易で読みやすいことが挙げられる。ペダンティックな言い回しや変に知識人ぶった表現はなく、万人に読みやすい文章である。一冊の値段も安いため、手に取りやすい。
10代、20代の人。橘玲はペシミスティックで運命論的なところがあるが、現実と将来への鋭い洞察があるため、若いうちにマスメディアでは決して紹介されないような世界の見方に触れたい人は、好き嫌いは別として読むことを勧めたい。10代20代前半の人は初期の金融論を読んでもリアリティが湧かないだろうし、金融論は若い人にとり有用性は相対的に少ないため、人生論関連の作品を最初に読むことを勧めたい。
30代、40代の人。社会経験を積み、将来の方向性が見えてくる時期であり、資金に余裕が出てくる人もいる頃合いなので、初期の作品を読んで理解できるようになるだろう。ベストセラー『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』を最初に読み、周辺作品で理解を深めていくことを勧める。それと同時に人生論も学ぶところ大なので、『幸福の「資本論」』を同時に読まれるのがよいと思う。