G-5YSV44CS49 ジャニーズファンはジャニーの性加害を支えてきた―ファンの責任論―|歩く歴史家 BLOG
社会時評

ジャニーズファンはジャニーの性加害を支えてきた―ファンの責任論―

歩く歴史家

私の立場:ジャニーの加害行為は断罪されるべきだが、キャンセルはやり過ぎ

現在、中古車販売ビッグモーターに続いてジャニーズ事務所がキャンセルカルチャーの餌食になっている真っ只中だ。マスメディア視聴者やSNS住民の「カタルシス祭り」が大盛り上がりである。(ビッグモーターの社長は「ようやく隠れられる」と喜んでいるだろう。)

私自身は、ジャニーズに興味はないし、この芸能事務所があってもなくても日本の大多数の人の暮らしには大した影響はないと考えている。私の生活も1ミクロンも変わらない。ジャニーズを含むアイドルファンのカルト宗教くささ、それを利用したビジネス構造にうさんくささを感じる。(でも、ジャニーズ系の顔に生まれたかったな…)。

私の興味は、ジャニーズファンの心理と性加害問題への関与、キャンセルカルチャーという問題にあるため、本記事でこの問題を扱うことにした。

ジャニーズには関心はないが、現在のジャニーズ(ジャニー喜多川氏本人と事務所)に対するキャンセルカルチャーには違和感を覚える。人間誰しも正の側面もあれば、負の側面もある。第三者がある人の負の側面のみを誇張し、それだけで社会から抹殺しようとするのは公正な態度ではない。矯正できる負の側面は矯正・改善し、過去に犯してしまった過ちであれば真摯に認め謝罪と賠償をするよう促すべきである。その上で、正の側面を正当に評価するのが正しい姿勢と思う。

以上の私の立場を前提に、こちら(プレジデントオンライン:霜田明寛「ジャニーズタレントが好きな私も「加害者」なのか…喜多川氏とも対面したジャニオタ男子がいま考えること」)を適宜参照しながら、関係者の責任論について考えていきたい。

ジャニー喜多川とマスメディアの責任

すでに他で数多く言及されている上、語ってもおもしろくないためジャニー喜多川氏(以下、ジャニー)とマスメディアの責任は通り一遍の内容にとどめておく。

ジャニーが生きていれば刑事責任を追及されるし、断罪されてしかるべきだろう。権力関係の下で未成年の少年に性加害を加えるという意味で、パワハラ問題とも関連している。だが、この世を去った今となってはどうしようもない。事務所として被害者への賠償を真摯に行うべきだろう。

マスメディアにも責任がある。2002年に東京高裁により性加害の「真実性」が認定され後に確定したものの、その事実を(ほぼ)無視した。それにもかかわらず、本人が死亡しBBCという「黒船」が来航すると、受け手のひら返しでジャニーズ叩きを始める。視聴率獲得のためジャニーズ事務所からのアイドル出演を熱望するばかりに、事務所に物申せないマスメディア。両者の癒着構造がジャニーの加害を加速させた要因である。

ファンの責任=道徳的責任

ファンは「加害者」というのは言い過ぎだが、性加害を続けるジャニー(=ジャニーズ事務所)とそれを黙殺するマスメディアとの癒着構造を再生産していくのに寄与したことは間違いない。ジャニーの性加害を(噂レベルで)知ってはいたものの、それはなかったことにしファン活動を続けるというのは、ジャニーの加害を下から支え続けることである。その意味で、ファンには倫理的・道徳的責任がある。

霜田氏(記事の筆者)は、自身もジャニーズファンとして記事中でファンの心理を代弁している。それは「性加害を肯定するわけではないが、ジャニーズタレントを応援している」というものだ。まさにこの態度こそが性加害の構造を再生産してきたのだ。

人は口では嘘や建前をいくらでも言えるが、行動は本音を(図らずも)雄弁に語ってしまう。差し当たり「性加害を肯定するわけではないが」という「ポリコレ的お断り」を入れ、「ジャニーズタレントを応援している」として(ファンクラブ会費、グッズ購入、コンサートなどで)金銭を払ったり、マスメディアの視聴率アップに寄与したりと性加害に加担してしまう。

つまり、ジャニーズファンは性加害問題など二の次と考えているのだ。これを許容しているようでは、芸能界などの事務所・タレント間で権力関係が働く人気商売において性犯罪は黙認されることとなる。

いったいジャニーズファンは何が好きなのだろうか。論理整合的に考えれば「ジャニーに犯された(可能性のある)男が好き」と言っていることになるが、ファンとして本当にそれでいいのだろうか。

ファンのとるべき(だった)態度

霜田氏の記事によれば、ファンに「死にたい」「眠れなくなってしまった」というメールが届くとのことである。私はこのあたりにカルト宗教臭さを感じるのであるが、その人らは認知的不協和に耐えられないのだろう。また、「ファンも共犯だ」「なぜ声を上げなかったのか」というSNS上の声もあり、加害意識を感じるファンもいるとのことであるが、「共犯」を比喩的に捉えればこの批判は当たっている。

さらに、今回の大報道の後「ファンをやめようと思う」という人は皆無で、「さらに応援しなければ」と言う人もいるとのことである。人間は自分の信じたいものしか信じないし、自分の信じるものにとり都合の悪い事実が現れた場合、その事実はなかったことにする。それどころか信じるものによりいっそうすがりつこうとする。これらのファンはその一例だ。

応援するタレントを守るためにファンがとるべき(だった)態度は、「ジャニーズタレントを応援しているからこそ、ジャニーの性加害を認め真摯に対応するよう事務所に働きかけ、場合によってはボイコット運動を展開する。それにより事務所の自己改革を迫る」というものだ。これを行ってこそ真のファンだろう。それをしなかったかからこそ、ジャニーズ事務所は潰れたのだ。

霜田氏は目下のキャンセルカルチャーの嵐の中で、「自分の“好き”すら言えないほど、一方向に流れるマスメディアの空気は強いものなのかと怖くなってしまう」と感じているようだ。しかし今必要なのは、好きと「信仰告白」することではない。

本当に好きなのであれば、ファンの立場からジャニーズ事務所のパワハラ的な組織構造をより透明性の高いものに変えるよう圧力をかけること、旧ジャニーズ事務所の株の所有構造を変え旧経営責任者らが新会社で院政を敷けないよう監視することだ。そうでなければ、(おそらくジャニーズ事務所が内心目論んでいるとおり)ただの「看板の架替え」で終わるだろう。

自己改革できてはじめてジャニー喜多川の復権と再評価がなされる地盤ができ、同氏と事務所の正の側面があらためて強調できるようになるだろう。

プロフィール
歩く歴史家
歩く歴史家
1980年代生まれ。海外在住。読書家、旅行家。歴史家を自認。
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