G-5YSV44CS49 日本の主要政党にキャッチコピーを付ける(2/2)―野党編―|歩く歴史家 BLOG
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日本の主要政党にキャッチコピーを付ける(2/2)―野党編―

歩く歴史家

前編(与党編)に続き、今回は野党の特徴を取り上げながらキャッチコピーを付けていきたい。

日本共産党=「行政監査院」

日本で最も長い歴史を持つ政党であるため、敬意を表して野党の第一位に位置づけた。共産党はとても興味深い政党だ。議員(国会から地方議員まで)はみな勤勉で、政党別学力テストを実施すれば圧倒的1位になるだろう。やる気と熱意に溢れ、真面目に議員活動をしている。お金にはクリーンであり、清廉潔白。

男性議員の女性スキャンダルなど聞いたことがないが、スキャンダルが出たことはあるのだろうか。志位和夫のキャバクラ通いや不倫疑惑など個人的に見てみたいと思う。有権者の大半は清廉潔白な人間ではないので、そのほうが親近感が湧くのとギャップ効果で共産党の得票数が増えるのではないか。

マイナス面としては、貧乏くさい。堅苦しく、面白くない。言っていることがみな同じで個性がない。カルト宗教くさいなどだろうか。

この党は権威主義左翼政党だ。支持者や末端の議員は、個人を滅して集団という権威に自己を埋没させようとする、ある意味「弱い人」たちである。連帯感と組織力が強い。組織構造は、上意下達のヒエラルキー(民主集中性)であり、党の内部統治方法は不透明である。非民主的な党内統治を行っている(ように見える)ため、本当に民主主義という価値を信じているのか一般の有権者に不信感を与えている。

いまだに「共産党」を名乗っているが、本当に共産主義社会を目指しているのだろうか。もしそうだとすれば、党名変更はせずあと30年ぐらい粘ったほうがいい。そうすれば、冷戦時代の共産主義イデオロギーへの嫌悪感を持つ人も少なくなり、一般の有権者から革新的な主張をしていると受け取られる可能性が出てくる。少し前の斎藤幸平ブームによりコモンズが注目されている現在、(周回遅れで)先頭を走る政党になれるかもしれない。

将来のことはともあれ、共産党が現在議会内で行っていることは、政府与党の「議会内監査」だ。「会計検査院」という公的機関があるが、それは会計が適正に行われているかをチェックする。共産党は、行政が適正に行われているかをチェックする。共産主義イデオロギーのユートピアを語れなくなってからはアイデンティティを喪失し、高い知能と情熱、献身性の向かい先が与党の監査(揚げ足取り)だけになってしまった。

現在は、旧来からの支持者の高齢化により活動強度が落ち、議席数も減っているようだ。今後の生存のためには、①党名を変更し、別の価値を提示するか、②すでに述べたようにあと30年ほど粘り「周回遅れのトップランナー」になることに賭ける、という選択肢があるだろう。

立憲民主党=「いつまでも悩める中学生」

ルーツの民主党が政権から陥落してから、アイデンティティ・クライシスに陥り、そこから抜け出せないままもがき続けている。労働組合が支持母体であるため、正規雇用者の既得権を守りたい。しかしそれでは自民党との違いがはっきりしない。

では改革に向かうか。支持母体を切り離さない限りそれはできないし、すでに維新の会がやっている。このような板挟み状態にあり、中途半端な感じは否めない。政権陥落してからすでに10年強。いまだに悩み続けている。いっそのこと組合を切り捨てて、ヨーロッパの「緑の党」の方向へ舵を切ってはどうか。さらに10年を無駄にしないように。

国民民主党=「コインの裏側」

立憲民主党との「とるに足らない差異」を必死に強調することで存在している政党。という意味で、立憲民主党のコインの裏側である。立憲民主党の存在が自己の存在の前提となっている(逆ではない)ため、こちらが裏で立憲民主党が表という扱いだ。

「敵の敵は味方」図式にしたがって、自民党と接近しようとしている。

ちなみに、前原誠司代表代行にキャッチコピーを付ければ「永遠の中二病患者」。小池百合子・現東京都知事が希望の党を立ち上げたとき「俺についてこい!」と旗を掲げて合流を画策したものの、後ろを振り返ってみれば…(泣)。人望がなかった。こうして前原氏は永田町劇場の喜劇役者となったのだった。

日本維新の会=「人生うまくいっていないみんなの党」

既得権打破と改革を訴え、「敵」を見つけ出してはなぎ倒していく(ように見える)政党。攻撃的リバタリアン政党だ。

人生がうまくいっておらず、鬱屈感を抱えている人にカタルシスを提供する。対東アジア排外主義的な匂いもするため、「日本人」しか寄って立つアイデンティティがない人に受けがよい。

社会民主党=「一人一党」

55年体制下で野党第一党だった社会党の流れを組み、内閣総理大臣を務めた村山富市を初代党首に据え結成した党。かつての面影はもはやなく、現在では弱小政党となり、女性党首一人でがんばっている状態だ。

社会民主主義は伝統ある思想であるが、なぜか日本には社会民主主義政党がない。社会民主党は社会民主主義政党かと思いきや、どうもそうではないようだ。共産党のように尖っていればアピールポイントになるが、中途半端な感じは否めないため時間の経過とともに消滅していく運命にあるだろう。

れいわ新選組=「孤軍奮党」

まず疑問に思うのが、なぜ「新選組」なのだろうか。政治は権力闘争に勝って政権を握ることに醍醐味があるのに、なぜ敗者として滅びた自警団を党名にするのか。砕け散ることに美意識を感じる政党なのだろうか。私なら勝った方の名前を付ける。例えば「れいわの官軍」。

山本太郎党首は元々極左のような発言をしていたが、政党要件を満たし、国会議員を排出するようになってからは穏健になってきた印象を受ける。外野では極端なことを主張するが、いざ政界に位置を確保すると中心の方に引き寄せられ「普通の政党」になっていくのは、他の先進国のポピュリズム政党と共通している。

代表のスタンドプレーで国会に議席を増やした成果は誇るべきである。政治家は褒められることが少ないどころか批判ばかりされる職業であるため、並大抵のメンタル力ではやっていけない。一人でここまで党勢拡大したのは並々ならぬ根性・熱意と才能があったからだ。社民党が滅亡途上の一人一党とすれは、れいわ新選組は発展途上の孤軍奮党だ。

野党全体に対して思うこと

いつも疑問に思うのは、バラバラの寄り合い所帯たる自民党は分裂しないのに、野党諸政党はなぜこうも分裂しまくるのか。一つの答えは、権力を持っているか否かの違いだ。しかし、小選挙区制において野党にとり最適な戦略は一つになることだ。逆に与党から見ればそれが一番恐ろしい。

野党関係者らは野党間には絶対に埋められない溝があると思っているのだろう。だが、そう思っている人は安心してほしい。傍から見れば、野党諸政党間に大した違いはない。このままではどうせ政権など取れやしないのだから、とるに足らない差異に拘泥せず、ひとつにまとまればいいのに、と思う。

野党関係者も、分裂すればするほど与党自民党に利するのは承知しているだろう。それがわかっていても、近くの者とのとるに足らない差異を強調することで自尊心を保とうとするのが人間の性なのだが、これに抗えない限り笑い続けるのは自民党である。

どこの政党がどういう形で政権に就くのであれ、日本全体のためには10年に一度でも20年に一度でも定期的に政権交代が起こるのが望ましい。

前編・後編にわたるこの記事の目的は、迷える有権者の支持政党探しに貢献することだったが、その目的を達成できた感覚はない。こうして悩みはまた深くなる。

プロフィール
歩く歴史家
歩く歴史家
1980年代生まれ。海外在住。読書家、旅行家。歴史家を自認。
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