フランス・パリ弾丸滞在記(2/2)―カルナヴァレ美術館とフランス革命―
カルナヴァレ美術館とパリ市
2023年9月28日、パリ4区のマレ地区にあるカルナヴァレ美術館を見学した。パリの博物館としては中~小規模であり、先史時代から現在にかけてのパリの歴史を伝える美術館だ。
館内説明によれば、カルナヴァレ館は1548年にパリ市議会の議長ジャック・デ・リニュリのために建設され、17世紀にフランソワ・マンサール(建築家)によって改修され、20年ほどセヴィニェ夫人(作家、社交人)が住んだとされている。1886年にセーヌ県知事のオスマン男爵(第二帝政下にパリの大改造を行い現在の形にした人物)の発意でパリ市が館を取得して歴史博物館に改修された。
紀元前3世紀にパリジー族が中洲のシテ島に居住し始め、ローマ時代にはローマ人が入植しシテ島に城壁が建設されたようだ。パリを守る城壁は中世から時代が進むにつれて外側へと順次拡張されていく。
写真の一番内側は、4世紀なので日本の古墳時代にあたる。フィリップ・オーギュストの壁は鎌倉幕府の開設と同時期で、シャルル5世の壁は室町時代(足利義満時代)に重なる。その外の徴税請負人の壁はフランス革命の直前(江戸時代後期にさしかかるころ)、ティエールの壁は江戸時代末期に建設されている。近代に入ると城壁は近代火器の登場により用をなさなくなるため、解体されることとなる。
建築物としてのカルナヴァレ美術館
この館は、元々、近世フランスの貴族階級の邸宅であり、ベルサイユ宮殿の小規模版ともいえる作りをしている。訪れてまず感じるのは異様に天井が高いことだ。日本の武家屋敷は二階建ての場合天井が低く、平均身長の伸びた現代人が居住するには圧迫感があるが、こちらは無駄に高い。感覚的に3.5mぐらいありそうで、上の方まで鏡が貼られ、シャンデリアが吊るされているが、ここまで高くする意味はあるのだろうか。
廊下は横に連なる個室内を通っており、隣の部屋を通る形でしかその隣の部屋に行けない構造となっている。各個室はサロン(客間)や寝室に充てられている。美術館として活用するにはうってつけの間取りだが、プライバシーを確保するという観点は弱い。
フランス革命
歩く歴史家を名乗っている以上、歴史の話をしよう。カルナヴァレ美術館での私にとっての最大の見所は、2階(日本でいう3階)に展示してあるフランス革命関連の展示品だ。バスティーユ監獄の襲撃からナポレオンの権力掌握までが最もおもしろかった。
第二帝政時代のオスマン・セーヌ県知事もナポレオン3世も、第三共和政以降のフランスも、やはり共和国としての正統性を示さなければならないわけなので、フランス革命以降の展示が気合の入ったものになるのは当然だ。
球戯場の誓い、バスティーユ牢獄の襲撃に始まり、人権宣言の発布、連盟の祭典、王政の終焉(ルイ16世とマリアントワネットの処刑)、マラーの暗殺、恐怖政治、理性の祭典、テルミドールのクーデタ、総裁政府の成立、ナポレオンの権力掌握まで、革命関連のイベントに関する展示物が充実している。
さらには、フランス革命関連の人物の肖像画もある。ラファイエット、ロベルピエール、ダントン、マラ―、サン=ジュスト、ル・ペルティエ、カミーユ・デムーラン、シャリエ、エロー・ドゥ・セッシェルなど有名人の肖像画が展示されている。また、ロベスピエール逮捕直前にロベスピエールが書いていたパリ市名での指令書など、フランス革命オタクにはたまらない展示内容だ。
フランス革命の一連の事件を時系列的に紹介するのみでなく、案内文でフランス革命の遺産が説明されていた。フランス革命は一義的には政治的な事件であると同時に(であるがゆえに)、習俗の革命でもある。革命当事者らは、旧時代との断絶を強調し新時代を建設するという使命を明確に宣言しているため、政治体制にとどまらず社会制度の改革を行った。近代国家建設プロジェクトだ。
制度的には、革命政府は、行政単位としての県を設置、土地や通り名の脱宗教化・世俗化、共和暦の導入、通貨制度の改革、度量衡の統一・導入(メートル、リットル、グラムの単位の導入)などの取り組みを行っている。度量衡に関しては、地球や水といった人類に普遍的なものを規則に作成されており、さすがは理性=合理性の国フランスといったところだ。
また、革命政府は新たな価値の浸透を図ろうともした。人権宣言、自由、平等、博愛、理性を称揚し、特権の廃止や奴隷の廃止、ユダヤ人への市民的権利の付与、財産権の保全など近代国家が取り入れるべき価値を体現した。
フランス革命は、近代の序章としてそれ以前と以後を画すような世界史的事件と称賛される一方で、負の側面を持つ。フランス革命は、革命を支持するか否かで「友敵」状態を作り出し、「反革命派」を粛清するという集団ヒステリー(恐怖政治)を引き起こした。政局対立により政治家が粛清されるだけでなく、革命政府に反抗したヴァンデ地方の住民を徹底的に弾圧したりもしている。
このようにフランス革命は、政治的・社会的な意味でも価値の面でも近代の幕開けを告げる一大イベントであると同時に、秩序の転換期=権力の空白期には人の暴力的な側面が表出してしまうことを示す事例でもある。
また、フランス革命は国際的にも巨大なインパクトをもたらした。フランス周辺国の王朝に震撼を与え、ヨーロッパは全域を巻き込む戦争に突入していくこととなる。各国にはフランス革命とその後のナポレオン戦争と占領に影響を受けた改革派が台頭し、それぞれ国内改革を余儀なくされる。こうして続く19世紀のヨーロッパ史は、フランス革命の影響を受けながら展開していくこととなる。