AIは異常な暗記能力を持つバカ。だが、有用であり、ゆっくり人の仕事を奪う
AIはArtificial Idiot
流行りものには飛びつかないことを信条としている私も、Chat GPTを始めとする昨今の生成AIブームを見ていて思うことがある。AI(人工知能)とは何か、その社会的影響力はどれほどか。
AIと呼ばれるものは、過去の膨大なデータをコンピュータにインプットし、アルゴリズムを介して統計的に確立の高いアウトプットを導き出している。文章や人間の話すことの意味を理解しているわけではない。生成AIが、あたかも質問を理解しているように見えるのはその振りをしているからで、人間の錯覚だ。
今後、AIがデータを大量にインプットしていけば、アウトプットの質は上がって行くだろうが、現在のAIの構造を前提とし続ける限り、AIは意味を理解できないという事態に変わりはない。
このように作動しているAIは、人間の基準から見れば、バカだ。人の言っていることはいっさい理解できないが、過去の情報を膨大に記憶・学習し、これまでそうだったからそう回答すれば当たっている確立が高いだろうと条件反射する。もしこのようなコミュニケーションを行う人間がいれば、異常なまでの暗記能力持ったバカと扱われるだろう。
AIは、瞬時に確立計算し条件反射するようプログラムされているという意味でartificial(人工的)ではある。しかし、人間の知能の要件として必須の「理解する」という行為が欠けているため、「知能」intelligenceとは認定できないだろう。記憶と確立計算も知能の一部ではあるが、一部でしかない。こう考えれば、AIはintelligentな存在ではなく、その実体は「力技の得意なバカ」と表現するのが適切だろう。
「AIは人間の知能を超える」という言説は金集めの方便
「AIは人間の知能を超える」という誇大妄想的な言説、いわゆる「シンギュラリティ問題」がもてはやされているが、私はその意味がわからない。人間の知能なるものはいったい何なのか、どのようなメカニズムで作動しているのかが解明されていないため、人間の知能を超えるか否かの判断ができないのだ。
たしかに人間の能力を分解すれば、AIはその能力を超えている(ものがある)。例えばチェス、画像・音声認識などだが、それはあくまでも人間の知的活動の一部でしかない。
なぜ「AIは人間の知能を超える」論が工学者を中心に唱えられるかといえば、単純に、そう言っておけば社会の注目を惹きつけられ、金が集まるからである。「AI開発を進めたとしてもうまくいくかわかりません」では研究資金は集まらない。資金集めには大風呂敷を広げ、失敗すれば静かにフェードアウトして、また次の大風呂敷を広げるというのを繰り返せばよい。
私は、AIは人間の知能を超えるかはそもそも判定できないし、できたとしても超えることはないと予想している。AIは現在の技術的前提に立つ限り、いつまでの人間の道具でしかない。だからこそ、artificial(人工的)と呼ばれているわけだ。
AIができないこと
「力技一辺倒のバカ」たるAIができないことは何だろうか。あらゆるものが考えられるだろうが、差し当たりいくつか挙げておきたい。
道徳的判断
AIは、道徳的な判断はできない。ポリティカル・コレクトネスに反するようなアウトプット(例えは「アウシュビッツの虐殺はなかった」)が出てしまった場合、AI開発者に削除されているが、AIは人間の手を介さなければどんな反社会的・反道徳的なアウトプットでも導き出す。
感情的な相互行為
AIの仕組みを知ってしまえば、人間の感情的行為は成立しないだろう。代表的なのが、恋愛を始めとする愛情行為だ。「過去の傾向からして、およそ人間とはこのように振る舞ってきたのだから、誰にでもそう振る舞えば間違いないだろう」という推論の下、かけがえのない存在に接するというのは、普通の人間にとっては侮辱的な態度と映るだろう。
例えば、自分の彼氏・彼女や配偶者にそのように接したらおしまいだ。「俺の経験からして元カノたちはこれで喜んだから、お前にもこうするよ」という男(もしくは女)がいたら、そこに愛情は成立しないだろう。愛は統計データとしてその他多数の中の一人として扱うのではなく、その人を絶対的なオンリーワンとして扱うことで成り立つのだから。
職業分野では、AIは、いわゆる感情労働と言われる職種(介護や看護が代表例)にも向かない。サービスを受ける側からすれば、AIの作動メカニズムを知れば、バカにされていると感じるだろう。人間はかけがいのない人格として扱われて尊厳を感じるからだ。
このAIの振る舞いを知らないままでいるが、知ったとしてもそれに耐えられる人間が多数誕生すれば、感情労働分野にもAIの導入が可能となるが、それは予想しにくい。
意外にゆったりしたスピードで人の仕事は奪われる
野村総研のレポート(2015年)が報告し、数学者の新井紀子女史も指摘しているとおり、また社会で広く認知(恐怖?)されているとおり、AIが人間の既存の仕事を多数奪っていくということは間違いないだろう。
ただし、AIに代替されるスピードは意外に遅いかもしれない。野村総研のレポートは約8年前の2015年に出されたもので、その中で人工知能やロボット等に代替される可能性の高い100種の職業がリストアップされている。8年経った今検証してみてどうだろうか。
ほぼすべての職種は残っている。単にAIの技術的進歩と社会実装のスピードにずれがあることによるものか、それとも意外にAIの社会的影響は少ないことによるものか、あるいはそれ以外の理由か、結論するのは早い。だが、AIの大規模な社会実装と人間の職業代替は意外にゆっくりとしているのではないだろうか。少なくとも10年で100種もの職種が社会から一掃されるということはないことは証明された。職種代替は、20~30年ほどかけて、段階的に進んでいくものだろう。
以上、AIの実態を述べてきた。読者には私がAIに批判的な立場をとっているように映ったかもしれないが、けっしてそうではない。むしろ、AIは積極的に活用すべきというのが私の考えだ。AIは人間とはまったく異なる仕組み(アルゴリズム)で動いており、人間的基準からすればバカではあるが、道具としては圧倒的に有用である。その活用方法は、これから知見がたくさん積み上がっていくだろうし、私自身も試行錯誤したい。
参照したもの
・VIDEO NEWS(2018年05月19日公開)「AIは恐れず備えよ」(新井紀子)
・VIDEO NEWS(2023年05月27日公開)「ChatGPTが投げかけるAI新時代の諸課題とその先に見えるもの(東中竜一郎)
・新井紀子『AI vs.教科書が読めない子どもたち』東洋経済新報社 2018
・新井紀子『AIに負けない子どもを育てる』東洋経済新報社、2019年