カーボベルデ滞在記-美しくも脆弱な島国-
地理、歴史
昨年、カーボベルデ共和国を1週間ほど訪問した。カーボベルデは大西洋、アフリカ大陸の北西部の沖合に位置し、10の島と8の小島から成る小島嶼国だ。火山列島であり、面積は合計すると4,033k㎡で日本の滋賀県ほどだが、小島に分かれているためかなり狭く感じる。砂漠気候に属し、年平均降水量は約230mm(日本は約1,660mm)とかなり雨が少ない。
人口は約60万人で、一説にはそれを超える200万人が外国に住んでいるとされる。国内人口より海外人口が多いというのは、普通の感覚からすれば簡単に想像できないことだが、世界にはこのような国はある。例えば、レバノンがその代表で、半崩壊国家のこの国出身者はアフリカのフランス語圏に散らばっており、経済分野でかなりの存在感を示している。
カーボベルデは、15世紀にポルトガル人が到着(「発見」)してから、16世紀にはアフリカから南北アメリカ大陸へ向かう奴隷船の中継基地となった。ここにポルトガル人が入植し、アフリカ人の混血が進み現在に至る。公用語はポルトガル語で、庶民はポルトガル語と現地語の混成言語(クレオール)を話している。
一人当たりGDPは4,851米ドル(2023年、世界銀行)と日本の約15%であり、中所得国に位置づけられる。
入国にはビザが必要であり、加えて入国税(空港保安税のような名目だったか)も必要となる。合計60ユーロ強で、日本円で1万円もする。観光がこの国の主要産業なので貴重な収入源なのだろうが、それにしても高すぎる。
サンティアゴ島:ローカルな香りを感じられる
首都プライアはポルトガルの田舎町
旅の序盤は首都プライアのあるサンティアゴ島を見て回った。サンティアゴ島は、カーボベルデ最大の島だが、面積は991㎡で東京都の半分程度の面積なので、車で2時間ほどあれば端から端まで行ける。プライアの人口は14万人弱と、千葉県成田市と同程度の規模だ。
到着後1時間ほどですぐにわかるが、大陸アフリカのコートジボワールのアビジャンやセネガルのダカールなどの大都市部と比べると、この国はまったくレベルが違う。一言で言えば、カーボベルデはアフリカではないのだ。ECOWAS(西アフリカ諸国経済共同体)に加盟しており地理的にもアフリカ大陸に近いのだが、イメージとしてはポルトガルの田舎町といったところだ。
プライアの街の中心は高台に位置している。中心部には広場と教会があり、そこが市民のくつろぎ・集いの空間になっていることからヨーロッパ風の町並みであることがわかる。プライアはこぢんまりしており牧歌的で、印象としてはポルトガルの田舎町といった感じだ。宗教はカトリックがメインで、イスラム教徒はほとんどいないという点で、向かいに位置するアフリカ大陸よりもポルトガルの影響が大きいことがわかる。
治安はとくに問題なく、安心して観光できた。大陸アフリカから来ると、なにより町中に警官が少ないことに気づく。アフリカには治安維持のため小銃を肩がけした警官を目にすることがよくあり、暴徒の投石に催涙弾で応酬する機動隊に出くわすこともある。日本的な感覚からすると恐ろしいのだが、この国では物騒な警官を目にすることはなかった。現地の人に聞いたが、所々ギャングが活動する地域があり麻薬の密売も横行しているが、観光客が訪れるエリアは基本的に安全だということだった。実際に危険なにおいのする空間はほとんどなく、治安もよさそうだった。
幹線道路でも交通警察もほとんど見かけなかった。アフリカ大陸では交通警察が市民に言いがかりをつけ賄賂を要求するということが日常的にあるが、ここでは少ないのだろう。公務員にしっかり給料が払われているということか。
大統領府も質素だ。壁が低く、衛兵が常時警備しているものの数が手薄で、これでは簡単に侵入できてしまうと心配になったが、これで問題は発生していないのだろう。治安のよさを示している建物でもある。












道路や橋などの交通インフラはきちんと整備されていた。主要道路はアスファルトで舗装されており、少し内側に入れば石畳敷きになるが、剥がれていたり穴が開きっぱなしになっていたりすることはなく、インフラに回す予算は確保できていることが確認できる。自動車やバス、タクシー、商用車などの車両のメンテナンス状況も悪くない。EV(電気自動車)の充電スタンドもちらほら見かけ、テスラ車とBYD車を何台か目撃した。
小島嶼国の残念なところだが鉄道はない。国土が小島に分断されており山がちな上、人口も少ないため鉄道を敷設しても採算が合わないし、その必要もないのだろう。市民の移動はバス、タクシー、自家用車だ。交通渋滞は通勤・帰宅時間には多少見られるものの、ラゴス、アビジャン、ダカールといった大都市のようにひどくはない。全体的にすいている。
物価はそれほど高くもなく、安くもなく。コーヒー(エスプレッソがこの国の標準)一杯1ユーロ(約160円)、レストランは一人一食あたり3~4千円といったところで、世界の主要都市に比べれば割と良心的なほうだろう。それでも千円台で食事がとれる日本の飲食店がいかに安いかをつくづく感じさせられた。
漁業が盛んで、食べ物は海産物がおいしい。シーフード系の料理(米やピザ、パスタ類)を注文すれば、タコ、エビ、イカ、魚がおしげもなく使われており、味付けも薄くもなく濃くもなくちょうどいい。何よりも日本では高級魚として扱われるハタ科の魚(クエ、ハタ)が安く食べられるのでうれしい。マグロ漁も盛んなようで、分厚いマグロのソテーを地元のレストランは提供している。お土産としてツナ缶を持って帰ることもできる。




ただ、野菜は全体的にいまいちだ。後に述べるような自然環境の厳しさゆえに園芸作物は十分に育たないのだろう。サツマイモ、カチャ、人参を蒸したものがメインディッシュの付け合わせで出てくるが、味がない。米は長粒米なので、ジャポニカ米のようなもちもち感はない。地元の人によれば米や野菜は輸入に頼っているということだった。コーヒーやワインは生産されており、地元の食料品店で地場のコーヒーとワインが買える。
飲食店で提供されているビールは、国産のstrela(ストレーラ)、ポルトガル産のsuper bock(スーパーボック)が2大ブランドで、ラガービールだがわりとあっさりしている。ワインは火山島のフォゴ島で生産されているようで、試しに白ワインを飲んでみたが、こちらもあっさりして飲みやすかった。


サンティアゴ島で驚いたのは、中国人が経営する小規模食料品店(ミニマーケット)があることだ。店に入ると、店番をしている20代前半と思しき若者(移住第2世代の息子だろう)に同胞が来たと思われ中国語で話しかけられたが、日本人だということを告げると、自分は山東省出身だと説明された。人口わずか60万人ほどの辺境地にはるばる家族で移住し、商売をする中国人のたくましさには感服せざるをえない。中国人ネットワークはこのように世界の隅々まで張り巡らされており、彼らは血縁関係を辿って「グローバル展開」していることがここでも確認できた。

カーボベルデ人:人懐っこいラテン系
滞在期間中、何人ものカーボベルデ人と話し、人々の行動を観察していたが、全体的な雰囲気としてはアフリカというよりラテン系で、言語がポルトガル語ということもあってかブラジルのようだった。アフリカ系とヨーロッパ系の混血で、見た目は、サッカーのブラジル代表選手のような感じだ。


人は明るく、いい意味で田舎ふうの人懐っこさがある。パリのような巨大観光都市では、観光客は効率よく「捌く」対象だが、こちらでは絶対数が多くないためか、観光が国の生命線になっているためか、「迎える」対象として扱われている感じがした。
地元の人たちの人間関係も濃密で、都会の冷淡さ・孤立的な傾向とは無縁のようだった。「歩く歴史家」と名乗っておいてなんだが、今回の滞在では運転手付きレンタカーで島内を回った。その運転手は所々で止まり、私を置き去りにしたまま車を降りていくので最初はどうしたことかと訝しげに思ったのだが、顔見知りがどこにでもいるらしく逐一挨拶をしていたのだ。最大のサンティアゴ島は東京都の半分くらいの大きさで、その範囲内にわざわざ車を降りて挨拶するほどの知り合いがたくさん偏在しているというイメージしてもらうとわかりやすい。いずれにしても、日本では運転手が客を置き去りにして知り合いに挨拶に行くというのはまずありえないことなので、おもしろい体験だ。
アフリカ大陸ほどではないが、子どももかなり目にした。少し歩けば10代、20代の若者がメインの社会であることがすぐにわかる。お年寄りはかなり少ない。今の40~50代は、6、7人兄弟も珍しくなかったようだが、今の10代は2人っ子になっている。この国は大陸アフリカに先駆けて、少子化フェーズに入っているわけだ。
世界遺産シダーデ・ヴェーリャ、プライア近郊
プライアから15kmほど西に位置し、2009年にUNESCO世界文化遺産に登録されたシダーデ・ヴェーリャを訪問した。こちらは海に面した人口1,200人ほどの村で、牧歌的な雰囲気がとてもいい。世界遺産ではあるが、過度に観光地化されているわけではなく、地元の村民の暮らしも守られているようだった。





シダーデ・ヴェーリャに向かう途中のプライア近郊には、国を代表する大学・カーボベルデ大学がある。医学部も備えた総合大学で、この国のエリート層はここから排出されている。その他にも、小さい職業訓練学校(専門学校)や研究機関があった。


他、郊外の小さな漁村も訪問してみたが、日本の同種の自治体にはいなくなってしまった若者と子どもがたくさんいることに気づく。どんな小さい村にも、決して立派とはいえないながらも小学校はあるため、最低限の教育環境は整っているようだ。


まったく川のない山、風光明媚な海水浴場
プライア近郊を見終えた次の日、島の南東部に位置するプライアから北西部のタラファルという町を目指して移動した。 島の中央の山岳地帯を切り抜けて行くのだが、ここでカーボベルデの自然環境の厳しさを目の当たりにすることになった。
島は全体的に荒涼とした山岳地形であり、平地がほとんどない。山肌に灌木が間欠的に生えているだけで、他は岩か砂しかない。降水量が少ないため植生に乏しく、圧倒的に緑が少ない。目につく色は、砂の茶色、石の白、部分的に緑といったところだ。





何より驚くのは、山にまったく川がないことだ。日本の山を見慣れた日本人からすれば、普通、山には木が生い茂っており川が流れている、森の中にはあらゆる生物が生息し、豊かな生態系を形成しているというのがイメージの相場だろうが、ここではまったく違う。ぱっと目につくのは岩と低木とその中を歩くヤギぐらいだ。高地では多少雨が降り、緑や赤、オレンジの植物が見えるようになるが、まともに農業ができる自然環境ではないことがすぐにわかる。
タラファルへの移動途中、アソマダという島内第2の都市に立ち寄った。標高550mにある人口約12,000の小さな町だ。観光として見るものは特にないが、こちらも広場と教会を中心とした旧市街地をベースにした町並みで、ヨーロッパ型の町であることがわかった。



アソマダで1時間ほど休憩して、次は目的地タラファルを訪問した。人口7千人ほどの小さな町だが、こちらは風光明媚な海水浴場が広がっており、観光客もわりと少なく穴場の秘境といった感じだ。町の中心には教会と広場があるのはここも共通している。





漁業が主要産業のようで、昼食で頼んだタコの炭火焼とハタの炭火焼はとてもおいしかった。

サル島:ヨーロッパ人によるヨーロッパ人のための観光地
観光一本足打法のサル島
サンティアゴ島を一通り見て回った後、北200kmほどに位置するサル島に移動した。国内線の運航はカーボベルデ航空がメインのようで、2×2の小型プロペラ機だった。調べてみると、日本国内でも小型プロペラ機で運行している路線が意外にあるようだが、鉄道での移動や空路での大都市間の移動しかしない人にとっては味がある。

サンティアゴ島はカーボベルデのローカルな香りがする一方、こちらサル島は完全にヨーロッパ人のための観光地だ。フランス、ポルトガル、スペイン、ドイツ、スイスなどとの直行便が就航しており、4、5時間で着くため、感覚としては東京からフィリピンに向かうぐらいだろう。


この島では電動自転車をレンタルした。島は平坦で山はないため、自転車で砂浜≒砂漠を移動して回ることができる。降水量は少ないようで、土地はあいかわらず痩せており、農業ができそうにはなかった。漁民はどこかにおり、海産物を観光客向けに出しているはずだが私が動いた範囲内では見当たらなかった。


見た範囲内では、地元民は観光サービス業関係者のみで、メイン通りから2、3本入れば建物がみすぼらしい感じになり、治安が悪そうな雰囲気になる。コロナ騒動で観光産業が大打撃を受け、そこから完全に回復できていないのか、羽振りがいい感じはしなかった。


島名のsalはポルトガル語で塩を意味する。その名のとおり塩田があり、中にはピンク色をしているものもあった。表面に張った水をなめてみると、おそろしく塩辛い。10mlでも飲もうものなら、3分後にでも高血圧になり動脈硬化を起こしてしまいそうな勢いだ。


島内南部のサンタマリア地区は長大なビーチが広がっており、避寒地として人気があるようで、冬にもかかわらず水着を着て海水浴をするヨーロッパ人が多くいた。ヨーロッパ人は泳げる海が少ない/全然ないため、このような海水浴場型の観光地が好きで、1週間スパンで滞在して海水浴やダイビング、セーリングなどのマリンスポーツ、バギーやジップライン、乗馬などのアトラクションを楽しんでいる。

現地で通りにいたスペイン人から「1週間くらいここに滞在するのか?」と聞かれたが、海の多い日本から来た私はあまり海水浴に興味がないため、内心とんでもないと思った。体験型アクティビティはそれはそれで楽しいのだが、よほど海が好きな人でない限りこの島は2日で十分だ。逆に、海が好きな人は1週間でも足りないだろう。
私の個人的な嗜好としては、現地の人や産業、歴史、文化などに興味があるため、ローカル感を楽しみたいならサンティアゴ島をお勧めする。ヨーロッパ人が開発した海水浴場型の観光地は、どこも同じような顔をしていて記憶に残りにくい。
その国の真の実力を知るには飲食店の店員の動きを観察する
私は、訪問した国々でその国の実力を知るために、飲食店の店員の動きを観察することにしている。注文取り役はきちんとメモをもってくるか、言ったことをちゃんと理解しているか、店員は手のあいた時間に何をしているか(ぼーっと突っ立っているか、何か別の仕事を見つけて率先してやっているか)、全体の状況を見ながら臨機応変に動けているかなどを見る。
するとその国の基礎的な教育水準が見えてくる。データやインスタ映えする写真はネットから引っ張ってくることができるが、このような情報は現場に行ってはじめて嗅ぎ取ることができる。これこそが旅をする醍醐味だ。
カーボベルデの飲食店でまず気づくのは、店員の数が少ないことだ。さすがに日本の牛丼チェーン店のようなワンオペはないが、西アフリカに比べて明らかに少人数で店を回している。そして驚いたことに、店員は一人何役もこなしているのだ。テーブルセッティング、注文取り、会計、皿洗いなど手のあき具合によって状況に応じた動きをしている。だから少人数で店を切り盛りしていける。
これはアフリカの低所得国ではまずお目にかかることのできない現象だ。こちらで述べたとおり日本人は世界一優秀なのでこのことは当たり前に感じられるが、世界的に見ればまったく当たり前のことではない。むしろ相当すごいことだ。この時点で、カーボベルデはアフリカとは違っていることが一瞬でわかった。
また、国の実力を知るためには、人々がきちんと時間を守れるかを見るのも手がかりになる。「時は金なり」とはよくいったもので、時間を無駄にしていては国の発展はない。「資本主義経済を発展させなくていいからゆっくり過ごしたい」という文明論的な選択もありうるが、経済発展を望むのであれば時間を有効活用することが必須であり、そのためには初等教育での「時間遵守訓練」が必要になる。
カーボベルデ人の時間感覚はアフリカではなく、どちらかといえばヨーロッパだ。待ち合わせ時間もしっかり守るし、物事が時間通りに進んでいく。メールに対するレスポンスも早く、きちんと話がかみ合う。この点でもこの国はアフリカでないことがわかった。
過度にせかせかしておらず、適度に牧歌的でゆったりしている。かといって、時間がまったく読めないということにはならず、物事がきちんと進んでいく。カーボベルデには「ほどよい緩さ」があり、それが人を引きつける要因なのだろう。
小島嶼国の悲哀
今回の旅では、10ある島のうち、2つしか訪問できなかったが、このような小島嶼国はどうしても国内のアクセスが悪くなってしまう。たかだか200kmほどのフライトでも片道1万円ほどかかるため、地元民の所得水準ではそう簡単に利用できない。現実的には船での移動になるのだが、こちらは相当時間がかかる。
(富裕層でない)普通のカーボベルデ人として生まれたなら、その島に閉じ込められたような気分になるだろう。若者であれば、自分の島に留まり続けるか、南北アメリカ大陸もしくはポルトガルに移住することになる。この国は治安や人柄がとてもよく、透き通るような海があり、道路など交通インフラもアフリカ大陸に比べれば格段に整備されているため、先進国の都市生活に疲れた人が観光客として滞在するには非常にいいが、長期間居住するとなると息が詰まるだろう。運転手は生まれて40年ほど島から出たことがないと言っていたが、仮に自分がその立場に置かれたとすると絶望的な思いがする。そしてその運転手の子どもたちもポルトガルとアメリカにいるということだった。
実際に世論調査機関Afrobarometerによれば、カーボベルデ人の64%(うち18-35歳では76%)が国外移住を検討しているということだ。私も現地の高校生・大学生の何人かと話をしてみたが、どこでもいいから外に出たいと一様に言っていた。そして実際に国外居住民が国内居住民より何倍も多いことを考えると、この国はきれいな見た目に反してかなりヤバい国なのだろう。小島嶼国の悲哀がここに感じられる。
産業は観光関連産業(ホテル、飲食、娯楽など)と水産業しかなく、コロナウイルスのような突発事態が起きればたちまち観光客は激減し、経済は壊滅する。雨が降らない(=飲料水の確保に苦労する、農業ができない)ため人口支持力がなく、少子化が進んでいる。国内開発は国外在住の自国民やヨーロッパからの投資に頼るしかない。現時点での開発度合いに大きな差はあるものの、大陸アフリカの熱帯地域のほうが長期的な存続はしやすいだろうし、過去には実際に存続してきた。
同じ島国・山国でも緑が深く水が豊富で自然の豊かな人口大国・日本に生まれてよかったとつくづく感じた。
地理的な隔絶性と自然環境の厳しさから、このような小島嶼国が生き残っていく道として、観光に加えてタックスヘブン化することが考えられるだろうか。同じ小島嶼国でもインド洋に浮かぶセーシェル共和国のように。間違っても麻薬の密売国家のようになってほしくはない。
客観的には不利な状況でもこれだけ発展しているということは、持てる資源(観光資源と人)を最大限有効活用しているということでもある。どのような形をとるにせよ、引き続き資源を活用しながら幸せに満ちた国になってほしいものだ。