G-5YSV44CS49 外国語を話せる国はどんな国?―自国語自生社会を維持するために―|歩く歴史家 BLOG

外国語を話せる国はどんな国?―自国語自生社会を維持するために―

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小学校の英語必修化

2020年度から小学校3年生以上で英語の授業が必修化された。背景にはグローバル社会で活躍する人材を育成するという目的があるのだろうが、日本人が外国語を話せるようにするという政策は、明治の初代文部大臣・森有礼の提唱した日本語廃止論の時代から、戦後のGHQによる英語公用語化論を通じて現代まで続く潮流である(それへのアンチテーゼももうひとつの潮流としてあり、日本語は唯一の国語として現在まで残っている)。

いったい日本人は外国語(とりわけ現代世界ではリンガフランカとしての英語)を話せるようになるのだろうか。また、国民の多数が外国語を話す国は、どのような国なのだろうか。これらの問いを考えながら、今後の日本社会について考えていきたい。

なぜ国民の多くが外国語を話せるのか?

公用語として採用されているか否かにかかわらず、国民の多数が外国語を話す国というのはどういう国なのだろうか。それを可能にする要因を考えてみたい。

第一に歴史的要因がある。その代表例が、西欧列強の植民地であったアフリカ諸国である。アフリカは、主に英語圏(アングロフォン)と仏語圏(フランコフォン)に大別でき、少数派としてポルトガル語圏がある。そこでは旧宗主国の言語が公用語になっており、制度もそこから移植されているため、行政機関や学校ではその公用語が使われている。

それに加えて、異なるローカル言語を話す国民どうしが意思疎通を図るための共通言語としても機能している。盛岡藩に生まれた新渡戸稲造は、明治期に他藩出身者と言葉が通じないので英語で話していたと聞いたことがあるが、アフリカでは日常的にこのようなことが起きている。

第二に経済的要因が挙げられる。事例としては、人口が1,000万人に満たない北欧諸国がイメージできるが、彼らはとても流暢に英語を話す。インターネットの普及以後の若年世代のみならず、それ以前から社会で活躍していた世代(今となっては高齢世代)の普通の人でも英語が通じる。

それは人口が少ない=国内の市場規模が小さく、自国語のみでは経済活動が成り立たないためだ。メディアも英米の大国依存になりがちであり、国民は日常的に英語に接しているし、出版・音楽・映画などのコンテンツ産業は必然的に英語を活用せざるを得ない。

第三に言語学的要因がある。平たくいえば自国語が外国語に似ている場合で、例えばドイツ語と英語、フランス語とイタリア語とスペイン語などがある。私自身の経験でも英語を勉強する場合、ドイツ人は私の10分の1ぐらいの時間で同じことを習得する。フランスでフランス語の学習を始めたときも、私はすでに2年ほど文法を学び、単語をこつこつと覚えたにもかかわらず、1か月前に学び始めたスペイン人にあっさりと抜かれた。「なんだこの違いは。俺は頭が悪いのか」と思ったものだが、今考えれば単に彼らの言語が似ているだけだったのだ。 そもそもフランス語、イタリア語、スペイン語は古代ローマ帝国時代には同じ国に属しており、それが分裂したため、起源を同じくする外国語になったという経緯がある。国が別であるため外国語となっているが、ルーツは同じラテン語だ。

日本人は外国語が話せるようになるのか?

これらの要因を見れば、日本人の大多数が外国語を話せない理由がわかるだろう。上記の3要件のどれにも当てはまっていないのだ。同じ理由で今後少なくとも80年ぐらいは話せるようにはならないだろう。

幸か不幸か人口大国である日本は、単一言語でまともに社会生活を営んでいける国であり、そこでわざわざ外国語を学ぶインセンティブが湧いてこない。韓国(朝鮮)語やモンゴル語は日本語に似ているようだが、国民の大多数がわざわざそれらの言語を仕事で使える高水準に達するほど学習する動機はない。

ここで私が念頭に置いているのは、あくまでも外国で働く意志も必要性もない大多数の日本人のことであり、国際社会で活躍したいと願っている人は除く。 英語に関しても、他の西洋言語に比べ文法が比較的簡単であるが、それにしてもあまりにも日本語と違いすぎており、大多数にとっては習得に膨大な時間がかかる。日本の国際経済的立場はこの30年間で落ちたとはいえ、日本人の大多数は国内に仕事があるため、今後も学ぶインセンティブは働かないだろう。(だからこそ、英語を含む外国語を話せることが価値として認識される。私の知るアフリカで英語・フランス語を話せるというのは特に価値がない。当たり前のことだからだ。)

話せるようになるべきか?

さらには、日本人の大多数が外国語を話せるようになるべきかも考えてみたい。

私は特にその必要性を感じない。大多数の人は日本語話者を相手に仕事なり社会活動をするからだ。外国語の取得に時間を割くぐらいならもっと優先度の高いことに注力したほうが効率がよい。仮に何らかの事情により外国語の必要が発生した場合、学習するより通訳を雇ったほうがはるかにコストパフォーマンスとタイムパフォーマンスがよい。風邪をひいた場合、わざわざ医学部を受験して医師免許を取得するという労力を払ってまで自力で風邪を直そうとする人がいないように、必要になった場合は外注すればいいことだ。幸いなことに今は日に日に優秀になっている自動翻訳ツールもある。

繰り返しになるが、職業上必要である、それがないと生活していけない、それが好きだから学びたいという人はここでは念頭にない。私が想定しているのは、「なんとなく英語が話せたらかっこいいな、できれば仕事の幅が広がるのだろうな」とぼんやり思っており、かつ差し迫った必要のない多くの日本人である。「聞くだけで話せるようになる英語」のような広告を目に耳にすることがあるが、そのようなものは絶対にない。外国語の習得には膨大な時間と労力が必要なのである。 余談だが、おそらく日本は英語を学習する環境と産業は世界一発展している。これは英語を話せない現状と話したいという願望のギャップを埋めるために存在している。話せたらいいなという夢が膨らみ、関連産業がそれを満たそうとする。しかし、ちょっとやそっと実践しただけでは習得できない。こうして関連産業が続くというスパイラルができあがり、今後も続いていくだろう。

自国語で完結できる国

「韓国人は日本人より英語がうまい。アメリカの大学で活躍する人数も日本より多い」と、いかに日本が韓国に負けているかを強調しつつ、「内向きになった日本の若者」を嘆く言説がるが、例えそれが事実だとしても私はそれを悲観していない。それどころか、むしろ誇るべきことだと思う。上記の要件を考慮すれば、むしろ韓国にとり悲観するべき事態だろう。上記の要件1、2を満たす国は、優秀だから話しているというよりも、外国語を話すことを余儀なくされているため話しているというのが実態だからだ。

自国語のみで経済活動が成り立ち、かつ高水準の大学院教育まで自国で提供できる世界の国は10か国に満たないだろう。思いつく限りでは、英米アングロサクソン諸国、ドイツ、フランス、ロシア、日本ぐらいか。今後は中国やインドが入ってくるだろう。他はタイか。

自国語で完結できるというのは、明らかに世界の中の特権である。それを英語の採用によりみすみす放棄するのは愚策だ。日本語が外国からの参入障壁となっているという事実があり、仮に日本で英語が通用するようになった場合、「普通の」日本人はインドやアフリカなどの低賃金労働者との賃金切り下げ競争に巻き込まれる。大半の人にとってはこれは悪夢だ。例えば、現在人口爆発中のナイジェリアの人々が日本で「時給400円でコンビニのバイトをします」などと言い出したら、どうなることか。英語はビジネスパーソンや学術関係者など国際社会で活躍したい人、必要な人だけが学習すればいい。何も国民全体に広げる必要はない。

この「自国語自生特権」を維持するためには人口を維持することが必要条件となる。私の感覚的には人口5,000万あたりが自国語経済が成り立つ境界であるように思われる。できれば1億あればよい。

こちらを参照いただきたいが、国立社会保障・人口問題研究所によって、これから2100年にかけて日本の総人口は約6,300万人にまで減少していくと予想されている。この傾向を反転されることは難しいとしても抑制することは可能だ。日本にはメディアに取り上げられたり研究者に指摘される問題は山ほどあるが、私は人口減少、とりわけ出生数の減少が日本の最大の危機だと考えている。子どもが減り続ける社会は正常ではない。外国語を学ばなくていい国をいかに維持するか。外国語がなければ社会が成り立たないアフリカを知る私からの問題提起である。

プロフィール
歩く歴史家
歩く歴史家
1980年代生まれ。海外在住。読書家、旅行家。歴史家を自認。
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