G-5YSV44CS49 リスキリングは茨の道|歩く歴史家 BLOG
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リスキリングは茨の道

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リスキリングとは

経済学者・野口悠紀夫氏の日本の雇用と産業構造に関するYoutube動画を視聴していて抱いた疑問がある。リスキリングは、はたしてうまくいくのか。

・「雇用問題研究会」(7) 野口悠紀雄・一橋大学名誉教授 2023.2.10

・【2040年の日本経済】1%成長か2%成長かで大違い/成長なくして分配なし/デジタル化は組織の問題/1940年体制が生んだ蛸壷化/リスキリングの柱は統計学/ChatGPTと会話せよ【野口悠紀雄】

日本の旧態依然とした昭和的産業構造が槍玉に上がる過程で、DX人材を取り入れたり、今をときめくITやデジタル産業に人を移したりするためにリスキリングを行う必要性が叫ばれているが、はたしてその実現可能性はどれほどのものなのだろうか。

まず、リスキリングを定義をしておきたい。リスキリングとは、古くなった知識を捨てたり更新したりすることで、時代が求める知識や技能(代表例がIT、デジタル)を獲得することと定義できるだろう。今の職業から新しい産業・職業に移るパターンと、既存の産業・職業内でも時代の変化に合わせ新しい知識や技能を獲得するパターンが考えられる。

背景には旧態依然とした産業・組織構造を、IT産業のような成長産業に人を移していくことにより、産業全体を若返らせ活気づかせようとの意図がある。

こうしたリスキリングを進めていく上でのハードルを考えていきたい。(なお、以下の話は、かなりの程度「サラリーマン副業」にも当てはまる。)

あらかじめ述べておけば、私はリスキリングはできるならやったほうがいいし、産業構造改革のためには必要だという立場だ。

野口悠紀雄氏の「野口悠紀雄的前提」

野口悠紀雄氏を含むリスキリングの必要性を説く人は、全般的に知能が限りなく高い人だ。リスキリングの必要性や有用性を語るという時点で、社会とその中での会社・役所組織のあり方に思考が及ぶような賢い人たちである。そのような人々は、世の中は自分とその周囲にいる同じく知能の高い人のみから成っているという錯覚をしてしまいがちだ。いわば「知識人的誤謬」に陥りやすい。

独学で経済学を修め、いつまでも独学し成長し続けることに人生の意義を感じる野口悠紀雄氏も、世の中の大半の人が野口悠紀夫(のような人)であるという前提に立っている。そして「リスキリングは一人ひとり自覚してやるべきことであり、政府はそれに対して補助金を出すべきではない」という考えを表明している。

この「野口悠紀雄的前提」は、現実に則さなし、この世にはありえないほどハードルが高いものだ。野口氏が経済学や語学など独学で行ったように、知識を独学で習得せよという要求は一般人にはあまりにも厳しい。そもそも、その前提が達成されているならリスキリングなど不要で、日本は世界で飛び抜けてすばらしい産業競争力を誇る国になっているはずだ。

次に見ていくように、社会に生きる大半の「普通の人」は時間的・能力的な制約があり、その条件内でリスキリングしていかなければならない。

組織レベルでの難しさ

「リ」スキリングというからにはそれなりに年齢が上の方の人だろう。例えば20歳の大学生が能力獲得を目指すなら、それは単なる「スキリング」だ。「リ」スキリングというからには、ある能力を身に着けており、それが時代の要請に合致しなくなったため新たな知識や技能を身につけるということになる。

あるスキルが古くなるのは20年と仮定すると、リスキリングの対象となるのは40歳半ば以降の人だろう。その年齢で大企業に勤めている人は、知識や経験をすでにかなりの程度蓄えており、中堅社員として働き盛りの年齢だ。

50代ともなれば、定年退職が視野に入ってくる段階となり、リスキリングした後の収穫年数が少ない。体力的にも知力的にもその気力が湧いてくるか危うい。タイムパフォーマンスを考えれば、何もせずに時間を過ごし、退職金を受け取るのが合理的な戦略ということにもなりえる。

リスキリングを組織内で進めていくためには、それに成功した人とチャレンジしようとしない人に給与面で差をつけるような制度改革を導入すればよいが、リスキリングが必要な昭和型の大企業において制度の改廃決定権を握っているのは、リスキリングの対象者たる50代の人間だ。自分に不利な結果をもたらしうる制度改革を行うインセンティブは彼らには働かない。自分の寄って立つ会社の存続が危機に晒されない限りは。

個人レベルでの難しさ

40代、50代の人々全員がリスキリングに否定的というわけではないし、20代、30代でも新たな能力の獲得に積極的な人もいる。論理的に考えれば、収穫年数が多ければ多いほど新たなスキル獲得のインセンティブがより強く働く。しかし、世の中の勤労世代の大半を占めるサラリーマンにはかなりの制約がある。

時間的制約

リスキリングという場合、どこまでスキルを高める必要があるのかは、状況により異なるだろう。新しく獲得したスキルで専門家並の知識を獲得する必要があるのか、中級者ぐらいになればいいのかによって割くべき時間は変わる。しかし、リスキリングというからには、仕事で活用することが前提になるので、単に初級知識が頭の中にあるというだけでは不十分だ。

リスキリングを行おうとする場合、恵まれた組織(リスキリングに積極的な大手企業ぐらいか)にでも属していない限り、大半のサラリーマンは就業時間後の自由時間か休日を費やすこととなる。30代では家庭を持っているケースも多いため、捻出できる時間はさらに少なくなる。こう考えるならば、まともに使えるスキルを獲得するには、少なくとも数年は要するだろう。

つまり、大半のサラリーマンには時間が足りないのだ。リスキリングのための勉強をすると事実上のダブルワークになってしまうため、よほどその分野が好きか、「この自己投資は確実に回収できる」と確信が持てない限り通常人に耐えられるものではない。

遺伝ガチャ:遺伝能力的制約

能力的な制約もある。リスキリングとして選ぶべきスキルは、定義上職に結びつく=お金を稼げるスキルでなければならない。マネタイズできないスキルや斜陽産業スキルを身に着けても意味がない。そして、現在成長産業で人が慢性的に不足していると叫ばれているのがDXやIT分野だ。 そこで、いわゆる「遺伝ガチャ」が関係してくる。行動遺伝学の知見が明らかにしているように、人間の能力は一定程度(もしくは、かなりの程度)遺伝的に決まっている。誰もが一定数の人間集団内でエッジを効かせられる能力は持っているが、それがマネタイズできるかは別問題だ。それが、DXやITなどの成長産業に合致している人となると統計確立的にかなり限られた人数になるだろう。

リスキリングに成功する人、失敗する人

1 成功する人

以上のような制約を考えると、(マネタイズ可能な)リスキリングに成功する人の類型は次のようなものになるだろう。

1-1 知能と学ぶ意欲が高く、古い知識をアップデートできていない40歳代以上の人

1-2 知能と学ぶ意欲高いが、何らかの手違いで斜陽産業に就いてしまった若年層

1-3 知能は平均かそれ以下でも、意欲がありまとまった時間を割ける人(失業者、専業社会人学生、資産家など)

こう考えれば、そもそもこの人たちにリスキリングなど説かなくてもよさそうだ。言われなくても彼らは自発的にリスキリングをやっているだろう。野口悠紀雄氏のように。

なお、知能が高く情報感度も高い人は必然的に成長産業に進むため、リスキリングの対象にはならない(成長産業が成熟し斜陽化するまでは)。

2 失敗する人

リスキリングに失敗する人、そもそもチャレンジしない人の類型はこのようになるだろうか。

2-1 就労時間外にスキル獲得に時間と労力を費やすことのできない人(私見ではこの層がもっとも多いだろう。悪い意味ではなく、現実的に仕事のあとに勉強するのは体力的にかなりきついのだ。よほど意志が強くなければできないが、裏を返せば、できない人が多いためやればそれだけで成功できるチャンスが多いということでもある。)

2-2 タイムパフォーマンスとリスクパフォーマンスを考慮すると、損する/元を取れないと判断する50代以上の人

2-3 遺伝的にマネタイズできるスキルに向かない人 2-4 能力も意欲もあるが、どうしてもリスキリングのための時間が捻出できない人(例えば経済的に苦しいシングルマザー)

リスキリングは問題の解決策ではなく、問題の一部

このように厳しい制約条件を考えるとリスキリングを社会的に成功させるのは茨の道だ。

リスキリングの現実的な対象者は、2-1だけだろうし、そもそもスキル獲得のために努力を続けられるかどうかも遺伝的要素による。

「そもそもリスキリングする必要のない優秀な人」、「1リスキリングに成功する人」、「2-1のうちから出てくる成功する人」を足すと、就労可能人口のうちどれほどの割合になるだろうか。おそらく1割いればいいほうだろう。

リスキリングという概念自体、意欲が湧いていない人かリスキリングの必要性に気づいていない人たちに対する高知能者によるパターナリスティックで「上から目線」の態度を反映したようなものに思える。「意欲も能力もない怠惰なやつを、成長産業に移動させるために啓蒙してやる」という匂いを感じるのだ。

リスキリングが社会的にどれほど成功するかはもう少し様子を見てみなければわからない。私は、リスキリングはできる人はやったほうがいいと思う立場だが、社会的に大規模な形で成功しそうにはないと見ている。今後それが成功するなら、そもそも日本経済は大きな問題を抱えていないはずだからだ。リスキリングは問題の解決策ではなく、問題の一部なのだ。

プロフィール
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歩く歴史家
1980年代生まれ。海外在住。読書家、旅行家。歴史家を自認。
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