G-5YSV44CS49 資本主義経済について考える①―「資本主義」って何だ?―|歩く歴史家 BLOG

資本主義経済について考える①―「資本主義」って何だ?―

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資本主義の定義を回避した不毛な論争

世の中の一部では、「資本主義は終わろうとしている、もはや限界に達している、早く終わらせるべきだ、いやまだ終わらない」など「資本主義論争」が繰り広げられているが、そこで私は疑問に思うことがある。そもそも資本主義とは何だろうか?

「資本主義論争」に関わる人は、たいていそれを定義しないため、同じ言葉を使いつつ別のことについて語っており、結果、話が噛み合っていないように見える。共通の土俵で議論するためには概念を正確に定義することが基本であるため、ここでは資本主義とは何なのかを考えてみたい。

資本主義は制度ではない、イデオロギーである

前提として、「資本主義capitalism」と「主義(‐ism)」を名乗るということは、自由主義、保守主義、社会主義、共産主義のようにそれは何らかの価値を標榜する思想・イデオロギーということになる。そうでなければ「主義」とは言えない。

資本主義を語る論者に見られる多くの誤りがこの点で、資本主義と言いつつ経済体制や社会制度を意味するかのごとく語る例が見られる。しかし、「主義」は制度ではない。資本主義はあくまでも何らかの思想である、というのが私の立脚点である。

資本主義が何らかの思想だとすれば、次のような疑問が湧いてくる。

資本主義はいかなる意味で「主義」なのか。「主義」であれば、どういう主張をしているのか。

資本主義と市場経済は別物

まずはよく混同される概念を区別しておきたい。言論空間には「市場原理主義」などの用語を使いつつ、資本主義を批判するケースが見られるが、市場経済と資本主義は別物だ。これも制度とイデオロギーを混乱していることから生まれる誤解だ。市場は物と物、物と貨幣が交換される場であり、有史以来ずっと存在してきたものだ。それに立脚した経済システムが市場経済である。本来、この市場には良いも悪いもない。他方で資本主義はイデオロギーであるため、両者は区別しなければならない。

資本主義=資本の無限増殖イデオロギー

「資本主義」という概念は、本来マルクス主義の用語である。かつて存在した(現在も細々と存在し続けている)マルクス経済学と対置されてきた近代経済学にはこの概念は存在しない。書店に売られているマクロ経済学やミクロ経済学、行動経済学の教科書には「資本主義」という言葉は出てこない。

そうとすれば、マルクスに立ち返って定義するしかない。マルクスは18世紀後半のイギリス産業革命以降の資本制生産様式を指して、「資本を無限に増殖し、利潤の絶えざる獲得を追求していく経済機構」と述べている。

これは生産様式について述べられたものなので、ここからイデオロギーを抽出すればこのようになるだろう。

資本主義とは、「資本を無限に増殖し、利潤の絶えざる獲得を追求するイデオロギー」である。

資本の無限の増大と利潤の獲得自体が目的であるため、他の目的(例えば幸福、自由、平等、正義など)は視野にない。

そしてこの資本主義に立脚した経済システムのことを「資本主義経済(システム)」と私は呼ぶ。

資本主義をこのように定義すれば、資本主義経済でないものが見えてくる。例えば、自給自足経済(アウタルキー)だ。そこでは、人は自分たちが必要とする分だけを生産し、生産物を他者に売って利潤を獲得することを目的としない。

なお、市場原理主義が批判されるのは、無限の利潤追求行為が市場を介して行われ、それが環境破壊を引き起こしたり、途上国の人々を搾取することに繋がっているためだが、それが悪いとすれば人間の強欲に根ざした資本主義であり、市場ではない。

不適切な派生概念

このように資本主義を正しく定義することによって、不適切と判定せだるを得ない派生概念が出てくる。例えば、世界資本主義。定義上、資本主義は資本の無限増殖を目指すイデオロギーであるため、地理的な垣根はない。同じく、北欧型資本主義、アジア的資本主義も正しくない。上記のような定義により資本主義は、北欧もアジアもなく、出身地や国籍はどこであろうとも資本の自己増殖を目指すのだ。

また、近代資本主義という時代を絞る資本主義も不適切だろう。このイデオロギーは時代を問わず、現に資本主義者は太古の昔から存在してきた。

適切な派生概念

上記の定義により、次の概念は機能する。

・資本主義社会

 (イデオロギーとしての)資本主義が支配的である社会。

・資本主義経済

 資本主義経済でないもの。自給自足経済(アウタルキー)拡大を目指さない=自足のため。

・資本主義的行動様式

  M・ウェーバーのいう勤勉なプロテスタントのような行動様式。ひたすた貯蓄する人は利潤の追求を目指していないため、資本主義者ではない。

プロフィール
歩く歴史家
歩く歴史家
1980年代生まれ。海外在住。読書家、旅行家。歴史家を自認。
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