被選挙資格の判定に知識テストを導入する
議員の能力に関する疑問
沖縄出身なのに沖縄問題を知らない女性参議院議員、明らかに所掌の職務を把握していない閣僚などに象徴されるように、日本には(も)不思議な議員がいる。その人たちを見るにつけ、「いったいどうやって議員になったんだ?」、「議員って、あれなら私でもできるんじゃない?」と思う人も多いだろう。
もちろんこのような議員は少数派で、大半の議員は真面目に議員活動を行っている(と信じたい)が、この手の議員を見る度に思うことがある。被選挙資格を得たい候補者は知識テストに合格すべきではないか、と。
供託金より学力テストを
選挙に立候補する場合、公職選挙法の規定により候補者は「供託金」として一定の金額を預ける必要がある。供託金の金額は、町村議会、市議会、政令市議会・市長、都道府県議会・知事、国会議員の選挙区分により15万円から600万円までの開きがあるが、供託金制度の目的は、売名行為や泡沫候補が乱立する事態を排除することとされている。一定の財産を国が強制デポジットさせることにより、選挙に便乗しようとする候補者を事前に抑止しようとする建前だ。
これによって、議員になりたいが資金が準備できない候補者が選挙から排除されるという事態が発生している。裏を返すと、既存の議員は(特に若い)新規参入者の挑戦を阻むことができる。
供託金制度が廃止されないのは、それによって既存諸政党の既得権が守られているからだ。既存政党間で新規参入者を排除するための合意が成り立っているからこそ制度が維持されているわけだ。建前の裏にはこの真の目的がある。
これは不当な既得権と言わざるをえないが、事態を公正な方向へ改善するためには候補者に被選挙資格を付与するか否かを決定する際に知識テストを導入し、議員として最低限備えておく知識をきちんと有しているかをチェックするのがよい。現行の制度では「頭より金」となっているところを反転させて、「金より頭」を重視する制度設計にした方が全体の利益にかなうはずだ。
テスト導入のメリット・デメリット
このテストを導入するメリットを見ていこう。
まずは、議員の質が現在よりも担保できることだ。地方議会から国会議員まで議員は公職者として、人々の暮らしや生命、財産の保護に直結する意思決定に直接参画するわけなので、当然それに値する知識は備えておくべきである。
知識テストの導入により無知な候補者は自動的に排除されるため、有権者の側からすれば、投票に割くコスト(議員の知識力を調べる労力)を削減できる。完全に無知な議員は選ばれないから、議会の決定に対し賛成していようと反対していようと、無知な人間の決定ではないという意味で最低限の納得感は得られるだろう。
議員の側からしてみると、真面目に活動している議員に限ってはよいことだろう。質の低い議員と一緒くたに扱われる巻き添えリスクを避けられるからだ。結果、議員の権威を守ることに繋がり、多少は政治不信が緩和されるのではないだろうか。
現行の供託金に期待される売名行為や泡沫候補予備軍に対する抑止機能も、知識テストは少なくとも同じ程度果たすことができる。知識テストのレベルを売名行為者が乱立できないような水準にまで上げるか、売名行為に見える候補者でも「知識テストを通過しているのだから仕方ないか」と思える水準に上げればよい。フランスで導入されているように立候補にあたって住民による一定程度の事前署名を集めることを補完条件としてもよい。
無名の新人候補者にとっては数百万円の供託金はあまりにも重いため、このような不当な参入障壁を排除し、知識テストを導入するほうがはるかに公正で、全体の利益にかなう。
デメリットは、知識テストを実施する労力が追加的にかかってしまうことぐらいだろうか。現実的には各自治体の選挙管理委員会が実施することになるだろうが、日本を見ると毎週のようにどこかで選挙が行われている中、人的・予算的にそれができるのかという問題がある。しかし、これは民主制維持にかかる必要コストと割り切って支払うしかない。大局的に見れば、国民はそれを補って余りあるメリットを享受できる。
既得権政党と能力の低い議員にとってのデメリットは、当然新規参入者の圧力に晒されることである。だが、これは国民全体にとってはメリットである。
知識テスト制度の大枠(私案)
このテストを実行に移すための制度設計についていろいろ考えられるだろうが、一応の私案を示したい。
テスト区分と形式
・地方議員初級:人口10万人より少ない市町村
・地方議員中級:人口10万人より多い市町村
・地方議員上級:都道府県議会議員、政令指定都市
・国会議員:衆参共通
・いずれも2期まで有効。3期目以降は知識をアップデートし、再度受験する。
・大学入試のような共通テスト形式を採用する。平等性と公正さを担保するためには、画一的であるがゆえに現行の大学入試制度はかなり優れている。
内容
試験の内容とレベルに関して、国家公務員試験、地方公務員試験に準ずる内容にITスキルをチェックする試験を足せば事足りるだろうが、行政職員と同レベルを求めるのは酷だろう。そうすれば一部のエリートしか政治家になれないという弊害を生み出してしまい、寡頭政治に陥りかねない。
議員は行政職員に比べて浅く広い知識が求められる。浅いとはいえ最低限の一般教養、政治制度、法律理解は欠かせないため、行政職員ほど深い内容ではなくとも、まともな議員として身につけておくべきことをテストで確認する。
なお、政治家の資質に関してもテストで問おうとする意見が出てきうるが、政治家が備えておくべき資質など一義的に決められない。その有無は有権者が判断することなのでテストでは問わない。あくまでもテストで問うのは、政治実務を行う上で必要な知識と技能である。
テスト導入後に脱落する議員
このテストを導入した場合、知識がそもそも足りていない/アップデートできていない候補者は排除される。例えば、沖縄出身で、参議院比例区で選出されている某アイドル系グループ出身の女性議員なんかはかなり危ないのではないだろうか。もしテストが導入されれば、政界からSPEED退出させられるかもしれない!
だが、それこそがこの制度のねらいである。この種の議員が国会内議決権を持っている国は危ない。
以上のことを書いていて思ったのだが、問題は制度的な次元よりもっと深いところにありそうだ。現在、能力と知識に乏しい議員がいるとして、誰がその人たちを選んでいるのか。我々、日本国民だ(特に参議院比例区の場合)。議員は国民を映し出す鏡であり、そこに映っているのは我々自身の姿なのだ。