「民主主義」と「民主政」を区別せよ
政体と思想の区別
資本主義という概念について考えた際にも述べたが(こちらを参照)、制度と思想は明確に区別するべきである。
「民主主義」とうい概念がメディアでも学術界でも使われるが、それが客観的な政治体制を指しているのか、政治社会のあるべき姿(思想・イデオロギー)を指しているのかうやむやになったまま渾然一体となって語られるケースが多々ある。その結果、「民主主義」を語る論者は、結局何を話題にしているのかわからなくなっている。
明治期に西欧から輸入さた概念であるdemocracy(英語)、démocratie(フランス語)は、その訳語に「民主主義」が当てられるが、その原語にも政治体制と思想の両方の含意があるため、混乱の原因は訳語にではなく原語にある。
私は政治体制と思想を区別する意味で、政治体制を指す場合はdemocracy,démocratie(訳語は「民主政」)を使い、政治と社会のあるべき姿を追求する思想(=イズム)を指す場合はdemocracism,démocratisme(訳語は「民主主義」)を採用する。democracism,démocratismeなる概念は聞き慣れないものではあるが、厳密には両者を使い分けるべきであるため、あえてこれを使用する。
なお、democracyの訳語に民主「政」を当てるか民主「制」を当てるかという訳語特有の問題がある。古代ギリシャを専門とする歴史学者の中には、democracyを単なる制度ではなく、実際の政治過程を伴う政治体制を指すものとして捉えるのが正しく、その場合、民主「政」を当てたほうがよいという考えがあるため、私も「民主政」を採用する。
民主政democracyとは
民衆(demos)が支配(Kratos)する政体のことを指す。理論的には統治する者と統治される者が同じであるような政体である。
近代の民主政が制度的に備えておくべき要件は、第一に法の支配である。その根幹には憲法があり、そこでは、ある特定の為政者が恣意的な権力を行使しないよう、統治のルールや制度が定められている。
要件の二つ目は、立法・行政・司法の三権が分立しており、何らかの形で民衆の意志がそれぞれ反映される回路が存在することだ。
要件の三つ目は、民衆が意見を表明する手段としての選挙である。民衆が直接統治する直接民主政と選挙を通じて民衆により権力を付託された為政者が国を統治する間接民主政に大別される。
近代民主政は、政党を基礎に選挙が行われるため、複数政党制が敷かれているかも重要な要件となる。 これらの要件をすべて満たしていれば、独裁政、貴族政、寡頭制とは認められないため、民主政とみなすことができるだろう。
民主主義democracismとは
民主主義とは、民衆が支配するべきであると主張する思想でありイデオロギーである。近代は「イズムの時代」と言われるが、まさに民主主義というイデオロギーもこの時代の産物だ。そこでは、単に政体を云々するだけに飽き足らず、民主政を理想の政体と措定し、それがどうあるべきかが語られるようになる。
民主主義が重視する規範を素描してみると、次のようなものになるだろう。
・人権は尊重されるべきである。
・思想・表現・言論の自由が保障されるべきである。
・差別は排除されるべきである。
・民衆が自発的に政治行為に参加すべきである。
・絶対権力は腐敗するため、為政者は一定期間で交代すべきである。
・為政者集団の腐敗・汚職を排除すべきである。
これらの規範(~べきである)という思想に根ざし、その理想を追求する国家を「民主主義国家」と私は規定する。この状態が達成されているかは問われないし、現にこれが完璧に達成されている国など存在しない。あくまでも民主主義という理想を追求する国家であるかどうかが、民主主義国家であるか否かの判定基準となる。
裏を返せば、未だ達成されておらず目指すべき理想状態だからこそ、民主主義という概念(を含むすべての「主義ism」)は意味をもつ。その意味で政治学者・丸山真男が述べた「民主主義とは永久革命である」という言明は正しい。
政体と思想を区別することで得られる4類型
「である論=政治体制」と「べき論=思想」を区別することにより、次の4類型が導き出されるようになり、それらを使うことにより現実の事態がよりクリアに見えてくる。
類型1 民主主義を重視する民主政国家
代表的なのが、いわゆる西側先進国。アメリカ、西欧(イギリス、フランス、ドイツ)、北欧、EU加盟国。アジアでは日本、韓国。アングロサクソン諸国など。「民主主義的民主政国家」というのが正確だが、煩雑さを避けるために私は単純に「民主主義国家」を呼ぶ。
類型2 民主主義を重視する非民主政国家
政権側が民主主義を尊重しているにもかかわらず実態として非民主政であるという国家は想定しにくい。国民の大多数が民主主義という価値観を重視し、今は民主政ではないのだが、それに基づく政治体制を築こうとしている場合を想定するなら(例えばミャンマー)、「民主主義的非民主政国家」とみなすことができるだろう。
類型3 民主主義を重視していない民主政国家
形式的な選挙は行い民主政の形は整えているものの、実質的には特定の人物や集団が長期的に政権を握り続けており民主主義の価値を等閑視している国がこれに該当する。例えば、現在のロシア、トルコ、シンガポール、カンボジア、アフリカのいくつか(も)の国など。
「非民主主義的民主政国家」と呼べるが、この概念は矛盾なく成立しうる。
上記2と3(特に3)は、民主主義と民主政を混同している論者には捉えにくい事態だろう。
類型4 民主主義を重視していない非民主政国家
形式的にも民主政の形態を整えておらず、特定の人物や集団が権力を握り続けている国。中国、北朝鮮、ベトナムなど。これを「非主義的非民主政国家」と呼ぶことができるが、内実はいわゆる「独裁政」である。
上記4類型に当てはめた国々は、現在の政治状況を見ればそれが妥当との私見であり、今後もそこに留まり続けるとは限らない。良くも悪くも別のカテゴリーに移っていく可能性は充分にある。
以上のように、政体としての「民主政」と思想・イデオロギーとしての「民主主義」を峻別するのは単なる言葉遊びの次元を超えて、現実を捉えるための概念上の基礎作業である。概念を明確に定義することは、学術を含む言論を行う上での基礎である。